カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

時間を越えて、国を越えて   黄金のアデーレ・名画の返還

2017-12-25 | 映画

黄金のアデーレ・名画の返還/サイモン・カーティス監督

 第二次世界大戦下、ウィーンで裕福に暮らすユダヤの家族があった。その時養母のようによくしてくれた美しい伯母の肖像画が部屋には飾られていたのだが、当然ナチスに奪われてしまった。戦後その絵はさらに著名になり、オーストリアのモナリザのような扱いになっている。アメリカに渡って生きのびた姉妹は、姉が亡くなりその絵に関することが書いてある手紙が残り、さらにオーストリア政府が、ナチスから奪われた品物を返還するという動きを見せていた。元の持ち主であることは間違いないものの、国の秘宝化されている絵が、年代を越えて本当に持ち主の元へ返るのだろうか。亡くなった姉も、基本的には美術館へ寄付する意向を持っていたと思われる。ところが法的な解釈の仕方によると、わずかだが一縷の望みが残されていた。当初はお金目的だけだった若い弁護士は、この裁判に全身全霊を賭けて臨むようになっていくのだったが…。
 脚本が良く練られていて、その展開を見事に少ない言葉で表現している。映像も美しく、場面転換が自然に時代を越えて映し出されていく。静かだが演技も素晴らしく、そのまま物語に自然に引き込まれていく感じだった。
 個人的なことだが、今年観た映画では、ダントツに一番である。大人になったらこのような映画を観るべきだろう。いや、子供のころからこういう映画を観ておいた方がいいと思うが…。
 ナチスものになると、特に残酷すぎる運命を描いたものになると、反戦色や正義感が強く前面に出過ぎて食傷気味になる場合がある。それだけ人に訴えかけるものが大きすぎるためであるが、この映画ではそういう感情もきっちり描きながら、その内面の複雑な思いも、丁寧に描き出していると思う。ナチスは絶対に許すことは出来ないが、しかし自分自身ですらその傷の深さに、自分を苦しめることから解放できないのだ。
 戦争を体験したものに戦後は死ぬまで終わらない。繰り返せば、さらにもっと時間を要することだろう。現代に生きるものにその責任なんてものは無いはずだが、人間の感情としては、世代を超えて携わっていくことが必要になっていくのだろう。その思想そのものには僕は考えとしてくみしないが、立ち止まって考えることも必要だと思ったことだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする