カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

こんな会社に勤めているのは不幸なんじゃないか   サンドラの週末

2017-12-29 | 映画

サンドラの週末/ジャン=ピエール&リュック・ダルデルヌ監督

 病み上がり(おそらく精神病)で仕事に復帰するにおいて職場で投票があり、彼女を復帰させるか、やめさせてその分ボーナスをもらうかという選択がある。一回目はあっさりと彼女の復帰は否決されてしまう。皆ボーナスをもらいたいのは当然で、条件が悪過ぎる。しかしサンドラに同情した同僚が社長に掛け合い、月曜に再投票をするという約束を取り付けてくれる。過半数に必要なのは九票。サンドラは苦しみながらも一軒一軒に足を運んで、投票を依頼しに回ることになる。
 こういう投票が成り立つのかどうかという疑問が最初にあるので、どうもしっくり物語に入り込めない感じがするのだが、まあ、外国のことだし設定上のフィクション的な危機という事で了解するより無い。サンドラはおそらく病気で長期にわたって休んでおり、その穴を埋めるべく皆が頑張って働いた末、週末の残業代も含め、ボーナスをもらって当然という労働者の意識がある。しかし彼女がかえってくると、その取り分であるボーナス(一人頭1000ユーロ。十数万円)を放棄しなければならない。また、彼女を復帰させたからといって、いずれ誰かの首を切らなければならない状況に代わりは無いとも考えられる。
 サンドラもそのような相手側の仕方ない選択であったことに対して理解はしている。しかしそれでは自分は失業し、やっと病気が治って働けるのに収入が絶たれてしまう。パートナーの給与では子供と一緒に今住んでいる場所に住み続けられないかもしれない。
 協力の約束を得られたり、やはり断られたりして一喜一憂し、精神状態はボロボロに傷ついていく。何か精神安定剤のようなものも頻繁に飲んでいる。やっぱり止めてしまおうと諦めたり、パートナーになだめすかされして思い直したり、車の中でラジオの歌を歌ったりする。
 そういう酷い精神状況が延々と続く。サンドラが投票を依頼することで親子の仲の悪くなる人もいるし、パートナーとケンカして離婚を決意する人もいる。逆にこのような選択に心を痛めて、サンドラに懺悔のような感情を抱く同僚もいる。仲の良かったと思っていた同僚からは、居留守を使って避けられたりする。皆この条件にありながら、究極の選択を迫られている訳で、サンドラの復帰そのものに反対するというよりも、自分たちの生活やこれからの不安などを勘案して、皆の感情も激しく揺れ動いている感じである。
 普通に見ていてこれは限界だな、という気分になるが、まさに映画の方も、限界に向かって突き進んでいく感じだった。結末も一応は意味があるのかもしれないが、日本人の感覚からは、こんなことが無くてもそうなるのは当然という気もするので、外国人の考え方というのはずいぶん違うものなのだろう。それは見てから判断してみてください。
 また、働くのは生活の収入の為という理由しか語らないのも、日本人の感覚からすると少し不思議という感じもした。自分がどれだけ仕事が好きか、又は会社に貢献できるか。場合によっては自分の仕事の重要性などは語られることは無い。あなたたちだってボーナスが無くて困るだろうけど、こちらは生活が困る、どうする? って感じなのだ。外国人の労働観っていうのは、本当にこの映画のように単純なものなのだろうか。僕には少し不思議です。
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