子供のころにパンの耳を食べていると言ったら、なんとなく貧乏くさいような印象があったように思う。パンの耳は捨てるところの代名詞のようなもので、それをわざわざ食うというのは、それなりに苦しいことの告白のようなものがあったのかもしれない。また、子供というのは残酷というのもあるし、苦味が苦手ということもあって、パンの耳を敬遠してしまう心情というのがあったのかもしれない。
しかしながら僕は、積極的にパン耳だけを食べるのが好きだという事ではないにせよ、パンの耳自体が嫌いな訳では無い。今となっては牛乳が苦手だからやらないけど、子供のころには牛乳とパンの耳というのは、なかなか相性のいい食べ方だったような記憶がある。食パンの真ん中の部分はそのまま食べても大丈夫だから、耳の部分だとそんな風にして食うというのがあったのかもしれない。
大人になってみると耳の部分というのは、ご飯でいえばおこげのようなもので、それ自体に味わいがあって、なかなかいけるような気がする。いろいろ何かにつけて食べなくても、独立して食べられる優れものの部分かもしれない。もちろんワインなんかと食べると、特に美味しいだろうけど。
朝からパンを食べる習慣もないし、学校給食を食べるような日常でもない。そうすると食パン自体を、めったに食べる機会が無い。サンドイッチなら時々手にすることもあるけど、そうすると耳の部分はついていない。バランスを取ってパンの耳を食べる一族がいるのだろうか。居たとしてもそうした一族との付き合いも無い。
考えてみるとパンの耳との縁というのは、ずいぶん遠いものだ。これからもたぶん予測として遠いままという気もするが、あえて考えない限り遠いままなのかもしれないです。