カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

龍馬がヒーローでなければ許されない現代

2017-12-02 | net & 社会

 坂本龍馬は架空の人物ではないけれど、恐らく現代日本人がもっとも誤解している人物の一人だろうと思われる。幕末の人ではあるが、ほとんど明治維新とは関係が無い。ところが明治維新と言えば、恐らく真っ先に思い出されるはずの人物だろう。近代日本の礎を築いた、偉大なヒーローといえるかもしれない。
 これは歴史的に確定した事実とは、もっともかけ離れた歴史ともいえるかもしれない。しかし多くの日本人は、そのいわば歴史で無いことの方をよく知っている。それは繰り返し流れる歴史ドラマや、そのもとになっている司馬遼太郎の創作が元になっている(また恐らく司馬は、明治の作家坂崎紫蘭の小説をタネにしているらしい)。
 司馬は小説家だから、史実をもとに忠実に歴史を描いている訳では無い。坂本龍馬にしても、幕末の若者のロマンを龍馬に託し、創作したものというが定説である。自分の創作した人物だからこそ、あえて「竜馬がゆく」という龍馬とは違う漢字を使ったとも言われている。特に嘘つきであるという事では無く、あくまで創作で膨らませた人物像であるという事で、むしろその後大ヒットして虚像が膨らんでいく様に、司馬自身にも戸惑いはあったのではなかろうか。
 もともと明治維新とは関係が無かった上に、幕末には殺されている。ためにか明治の最初には、既に忘れ去られた人物であった。ところが初代の内閣官房長官(当時、内閣書記長官)であった数少ない土佐勤王党の生き残りでもある田中光顕という人が、後に宮内大臣を務めている時に、坂本龍馬という人がいたと顕彰した(海軍の礎になった人かもしれないということで。さらに土佐の元仲間だからという事かもしれない)ために、一般にも有名になったと言われている。
 明治維新の持つ新しい日本というイメージには、そもそも大きな間違いがあるということも言われている。しかしながらそれでは、明治維新にかかる日本の良いイメージそのものが、ロマンとして失われてしまう。江戸の封建的な社会から180度転換して、新しい時代が生まれたというのが、多くの人が望んでいる歴史観ではないか。実際にはそんなに単純なことでは無いし、当時の人々の感覚の中に江戸時代と明治維新には連続した精神性があったようなのだが、現代人にとっては、そんなまどろっこしい事情は簡単に理解できない。むしろ単純でも、大きく転換した社会的な出来事として、そうであって欲しいという欲求の方が勝るという事かもしれない。そのまま維新という単語自体にも、良い印象を持っている人も多いことだろう。これは極めて現代的な欲求に応じた歴史観の在り方という事なのかもしれない。
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