カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

糠喜びの意味

2016-06-04 | 時事

 借金できるのは何故か。それは将来返してくれるだろうと貸す側が思っているからだ。もちろん借りる方だって返すつもりはあるのが前提(だます人もいるが)だ。会社や個人なら、将来的に収入があるから、その中から分割して返すということになる。これが国だと、当然国の将来的な収入は税金だから、国が借金したら税金で返す約束をしている訳だ。
 以上が大前提過ぎて当たり前すぎて理解できない人がいないレベルまで単純化した話である。だから国が借金できる今の状態は、将来的な税金収入を見越せると貸す側が考えているということになる。これも多くの人が知っている通り、そうして借金の額がどんどん膨れている状態になっている。日本という国はそれだけ余力があるというのは確かではあるが、ではどれだけ借りる余力があるのかということにもなる。これを計るのが実際に持っている貯蓄や資産、そうして収入にあたる税金ということになる。国民資産と借金額が同じくらいになりそうなのがこれから10年の間(それより長い短いの議論はある)、というようなペースで借金額が膨らみすぎており、財政破綻が心配されている。要するに借りられる限界は限りなく近くなっている(どの時点かは誰にもわからないが)。しかしまだ他国との比較において、国民負担として税金を上げられる余地があるということで、かろうじて破綻を免れていると考えられるのが現状である。これも大前提だ。
 日本の円というのは独立した通貨だから、国が発行することが出来る。しかしながらその量を増やすと日本のお金の価値自体が下がることになる。あまりに量が多いので自覚しにくいだけのことで、例えば実際に目の前の一万円札を焼いてしまうと、市場の一万円の価値は、消えた一万円の価値程度にあがるはずである。少なくともそれは誰かの持ち物で、消費する機会が無くなったので、一万円が価値として動くことは無くなった。そういう説明では分かりにくいかもしれないが、それは動かぬ事実で、だから逆に日銀がどんどんお金を刷ってしまうと、手元のお金の価値も数が増えた分はどんどん価値が減るのである。一万円の姿は変わらないが価値が減るというのは、今までこの一万円で買えたものの数が減ったり買えなくなったりすることを意味する。
 日本の借金は日銀がどんどんお金を刷ってそのお金で買い取れば問題ないという議論があるが、だからそれは、それで問題が無い範囲の問題に過ぎないことになる。さらにいえば、それで問題ないなら税金を集める必要などなくて、最初からその金で国の運営をしたらいいだけの話である。実際にはそれは誰が考えてもできないことで、結局それは欺瞞なのである。
 誰も税金をたくさん取られるのは嫌に決まっている。国民世論が増税反対なのは、単に理解不足で、それで何とかなるかもしれないという神頼みみたいな精神性に過ぎない。政治の役割はだからそれではだめで、ちゃんと国の運営をやらせてくれと説得することでは無いだろうか。借金した分は、すでに使ってしまったのだから、これからはどうするのか、ということである。で、多くの政治家(与党野党すべてだが)はどんな判断をしたというのだろうか。
 政治家が馬鹿に見えるのは、それだけ国民が馬鹿だというのはそういうことである。
 もっとも、もうすでに返す気なんてないのだから(確かに不可能に近いとは思われるが)実際に破綻を狙っているとも考えられる。早くその時が来ると、今度は戦後の再建と同じだ。悲惨だが、皆悲惨は同じだ。やけくそだが、それが現実的なのであろう。
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