カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

大根もらうと疲れます

2016-06-12 | culture

 ラジオ聴いてたら「付き合い疲れ」の話をしていた。都会暮らしの人が田舎もいいかもしれないと田舎に移住した。自然も豊かだし温泉もあったりして最初はなかなか楽しんでいた。だんだんとご近所に知り合いが出来るようになり、挨拶を交わすようになり、それはそれでいいとは思っていた。ところがこのご近所の人が、頻繁に野菜などを分けてくれるようになる。時に漬物などもくれる。気にしなくていいと言われるが、お返しを何にしたらいいのか見当もつかない。多くのご近所さんはそれぞれに小さな畑があるらしく、大根やら玉ねぎやら、そこでとれたものをお互いに分けているらしい。今さら畑を借りるのもなんだし、週に数回都心に仕事で行くが、東京の菓子などのみやげを買うのも何か違うように思われる。ありがたいが申し訳ない。だんだん疲れてきて、まあ、仕事も忙しくなったのもあるが、結局都心に戻ってきてしまった。今は快適で嬉しい。という内容だった。
 まあ、ギャグとしては面白いが、他のスタジオの皆が一様に、そうだよなあ、田舎はめんどくさいよな、という空気に包まれたのには少し違和感を覚えた。まあ、それは他ならぬ僕が田舎在住者だからかもしれない。でもまあ、田舎のめんどくささはそんなレベルじゃないぞ、という話になると脱線するので話を戻そう。
 何のお返しをするのかは確かに僕にもよく分からないが、「美味しくいただきました」でも特に悪くないような気もする。選挙の時にでもその人の支持者に投票でもしたらいい(これは冗談です)。
 まあしかし、その煩わしさというのは僕にも分からないではないが、恐らくそのご近所さんは、長く住んでほしいという長期的なつながりを願望として(無意識に)感じておられたのだろうと思う。結局その長期的な気分に嫌気がさしたということが言下に感じられるわけで、それがなんとなく嫌な感じなのかもしれない。田舎に住むのにたいした決意などはいらないが、単に田舎が嫌というより、引っ越しシャッフルをするような人間関係の在り方を好んでいるというだけのことだろう。そういう人がいても構わないが、結局はそういうコミュニティの作られなさというのが都市の病理なので、いや、都市に限らず新興の住宅などにある根本問題であるような気もしないではない。個人のコミュニティ障害というのはあるだろうが、特に病的でなくとも、克服が必要なレベルじゃないかとも考えられる。結局その個人の気分のコストを、都市の機能として負担させられるのは行政だろう。
 冷たく聞こえるかもしれないが、個人の自由を支えている周りの努力に、いつかは気付かざるを得なくなる。何処までも逃げてもかまわないが、さて、それに気づくころにあなたはいくつになっているかだろう。都市部もいつかは人間のように老いるだろう。何処に住もうと、結局はそんなに違いなどなかろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする