カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

目には目をは、呆れた思想だ  ザ・イースト

2016-06-13 | 時事

ザ・イースト/ザル・バトマングリ監督

 環境テロ集団(カルト教団といっていいかも)に潜入捜査に入った女性の体験と、利益のために環境破壊もいとわない企業倫理に対しての警鐘を鳴らすサスペンスもの、というつくりになっている。最初に環境テロのカルト教団に潜入し信用されるように行動するサスペンスがまずあるが、文字通り怪しい団体なので、自らも馴染めない感じ(しかし捜査しなければならないジレンマ)がちょっと怖い。しかしながら彼らなりの論理があって、被害らしきものを受けている(勘違いにしか見えないまでも)現状を見るにつけ、段々と共感してしまうわけだ。まあ、それが洗脳の怖さという展開にはならなくて、一緒になって企業へ向けてテロ行動を(仕方なくだが)とるようになり、(恋人がある身ながら)組織のリーダーと結ばれて妊娠してしまうのだった。
 まあ、そういう展開なんで、共感よりも先に疑問の方が強くて、また最後の方で自分たちで仲間を助けるために外科手術をするあたりになると、いくらなんでも命のためなら病院に行くべきだという思いが強くなって気分的に諦めた。結局仲間は死ぬが、当然であろう。
 言いたいことは少しは分かるのだが、企業が私腹を肥やすために不正をするというのは、普通に正攻法で糾弾すべき問題であって、自分たちの勘違いや楽しみのためにテロを起こす理由として都合よく利用すべきことでは無い。どうも西洋的な正義感というのは、正義のためなら人を殺してもいいというような極端な思想に走りがちで、だから目には目をということを平気で言ってしまって、対立をあおり、負のループに陥ってしまいがちである。その考え方自体が馬鹿げていることにいつまでも気付かずに、いつまでも自分たちが被害者でかわいそうなのだ。ガンつけられて怒っているヤクザと何ら変わりは無い。
 そういうことで、大人の東洋人には分かりにくい(少なくとも常識の範囲では)作品になっていると思う。主人公の最初の感覚はまともなのに、どんどんおかしくなるというのはホラーとしては怖いけれど、それを観客に共感として伝えようとしているところがダメなのである。僕なんかは大企業こそ、そこで働く多くの人と家族が居るわけで、まじめにやっている人々をこのような悪意の人が卑劣に人間性を貶めることをしている事実に嫌悪を覚えるが、そういう視点のかけらも無いのが、ジャーナリズムをはじめとする薄っぺらい正義感なのだ。現代人はどうかしているのである。それとも最初から病んでいるというべきか。
 まあ最後は賢いやり方でやりましょうね、ということなんだが、かなり呆れた作品でありました。
コメント
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