カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

神様を見たい人にはどうぞ   I(アイ)

2016-02-27 | 読書

I(アイ)/いがらしみきお著(小学館)

 率直にいって、妙な漫画を読んでしまったような感じがする。変な漫画ではないし、おかしな漫画でもない。そうしてなんだかすごいことは分かるのだが、妙な感じなのである。聖書の中のお話のような気もするし、現代における人間の精神性という感じも無いではない。そうしてこの話を素直に受け止められるのか、という問いがあったとすると、それにも何だか自信が無い。しかしながら漫画にはものすごい力があって、ゴリゴリと押し出される感じで続きを読むより無かった。いったいこれは何だというのかというのは、最後まで実はよく分からなかったのだけれど、ともかくすさまじく、感動的だった。なんとなくこの漫画の言葉通り、見るものを見るような感覚がわずかながら残ったのだった。
 神様を見たいというあいまいな欲求のために、まさに探し求める一生の物語である。何度も神らしき存在は出てくるが、それは陰であったり風景であったり不思議な現象だったり、つまるところよく分かりはしない。しかし彼らには分かっており、読んでいる僕らにもそれは伝わる。当然だが周りの人間はにわかには分かりえない。分からないが付き合っているうちに、なんだかそれらしいというか、もしくは不思議な体験をすることになる。それは確かに神が行っていることかもしれないが、いわゆる意味というものが欠けているような印象もある。たくさん人が死ぬが、それは普通の生活でも人は死ぬわけで、その意味がことさら意味として語られている訳ではない。生きている彼らでなければ神は分からないし、ある意味で殺されているように見える人たちだって、流れの中で必然だったのかさえ怪しい。物語は淡々と続くが、この行き当たりばったりのような混乱したようなストーリーが、神の発見に必要だったのかさえよく分からない。むしろ人間の方が、神を許しているかのような話も多いのである。人間の目から見ると、神というのは気まぐれにとんでもない蛮行を繰り返している。人間にはなす術がないから、さらにその存在が分かりえないから、受け入れるより無いのである。いろんなものを削げ落として人間性を失っていくごとに、神の影を見るようなことが可能になっていくようである。それでも関わる人間は勝手に関わり命を落としていく。それに対しての神からの答えは、当然のように何もない。一応お話は終わるのだろうという予感はあったにせよ、この物語の本来的な意味であるとか、それが言葉の上でなんであるというのは、つまるところよく分からないのだが、不思議な気分のまま、自分があたかも体験したかのごとく、なんとなく神がいてもおかしくないような気分になるのである。
 まさしくそれが漫画を読むという行為においての神体験である。騙されたと思って読んでみたらいいと思う。
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