米国の大統領選挙の話題は、テレビだと連日それなりににぎやかに報道されるようになった。前からそうだったという人もいるけど、日本でもこういう流れが手に取るように分かるようになったのは、やはり近年のことだと思う。僕は子供の頃にはこの流れを知りたかった方だが(今はそれほど関心が無い。変なものである)、なかなか当時は難しかった。結局結果だけで、日本にとってどうだという見方が後からなされるくらいのものだったのではないか。以前に比べたらこの分かりにくい仕組み自体がずいぶん認知されるようになって、報道されやすくなって、そうして結構面白いということが分かるようになって、このような姿になったのだと思う。
娯楽としてはそれでいいのだが、ずいぶん前から予想や解説されていることではあったのだが、今年の展開というのはいつにも増して、なんだかずいぶん極端な感じがしないではない。それというのもトランプやサンダースのような候補者が、それなりに支持を集めたまま、そうしていずれは消えると目されているとはいえ、なかなかどうしてその勢いは強いという感覚がある。こんな両極端な二人が(というか基本的にトランプのほうだろうけど)、常識的には大統領になるはずが無いという思いが日本人の、特にジャーナリストにはあるのだと思うが、米国の大衆にとっては、このような人たちがそれなりに支持を集めるような時代にあるのだということは間違いないのではないか。特にトランプのような人は、単にバカみたいな人という感じしかしないけれど、これがタレントではなく、大統領候補なのである。お金持ちだから候補者になれるというのも凄いけれど、実際に支持を集めるのはやはり何とも滑稽だ。
以前から報道陣の多くは左側に加担しがちなところがあるのだけれど、サンダースにしたって、普通のアメリカ社会ではちょっとあり得ない人でもある。要するに社会主義者であることを公言しているユダヤ人である。人種差別で言っている訳では無くて、抵抗のある人がそれなりに多いだろうということだ。結局ヒラリーにはメール問題があったり、思ったより強硬なところがあるというのもあるし、以前のように女性初という価値がそれほど大きな意味を持たなくなったために、相対的に頭角を現したということになるのかもしれない。
トランプについても同じようなもので、他の共和党候補が、思ったよりパッとしないという印象があるのではなかろうか。それならば9歳でも分かるようなことしか言わないとされる人の方が面白いに決まっている。最終的には厳密な人気投票ではない大統領選に戻るだろうとはいえ、これが今の米国世論を表していることには違いは無かろう。
日本人としてはよその国のことだし投票することもかなわない問題だけれど、結局は日本のボスの上司のような人が決められるわけだ。そういうところが子供の頃にも興味があったことだった訳だが、実際には相対的に米国の影響は小さくなっているとも考えられる。米国が重要だったのは当たり前だったのだが、重要だと強調されなければならなくなった現在は、やはり少し日本との関係が変わってしまったことの証左であろう。まあ、そうではあるが、事実上の植民地住民としたら、米国世論の健全化を願うばかりである。