カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

無添加の洗脳から脱せよ   正しい添加物講義

2016-02-05 | 読書

正しい添加物講義/長村洋一著(ウェッジ)

 素直な表題の本で、添加物に対して気になっている人は、等しく手に取って読むべき本である。ただし、この本に書かれている内容に、残念ながら驚く人の方が多いのではないかという予測は立つ。それほど現代人の知識というのは極端に偏っており、その偏りの在り方が、あまりに軌道を逸している為に、著者はこの本を書かざるを得なかったということかもしれない。そうして現代の行政や、食をつかさどる、または食に関係している多くの専門家でさえ、この現代の偏見病理におかされている可能性は高い。いろいろ原因は考えられるが、多くの場合は間違った情報が連鎖的に繰り返され、いわば洗脳が行き届いた為だとは考えられる。食の安全を考えるうえで、特に毎日の食卓を支える、さらに子供を育てる意識の高い主婦層などは、この洗脳に犯されやすい立場にあったことは否めない。そのような犯罪に似た行為を許す土壌が日本にはあって、合理的で日々血のにじむような企業努力をしている食品メーカーなどの、信用を貶めることに加担している。まったく嘆かわしいことだが、本当に国民の食の安全を考えるとき、このような歪んだ洗脳から解き放たれて、正しく添加物と付き合える道を選択できる個人を地道に増やすしか、残された道は無いのだろうと思う。
 結論を言ってしまうと、添加物を恐れるあまり、むやみに添加物を避ける消費行動をすることで、健康や食の安全が脅かされる皮肉な結果になっているということである。人間が食事から摂る危険性のある課題は、大きく四つの問題に絞られる。一つはO-157などを含む糞便系大腸菌群。二つめは、マイコトキシンを生産するカビによる毒素。三つ目は、脂などが活性酸素(要するに時間の経過で)によって酸化されて生成される過酸化脂質。四つ目は、フグ、キノコ、貝などに含まれる毒性のある物質。である。これらの危険から身を守る為に、加熱処理をしたり、出来るだけ新鮮であったり、出来立てのものを食することを心がけることで、かなり回避することが可能である。ところが誰もが漁師であったり農家であったり、または自分でそれらの食材を直に集めることは不可能に近い。そんなことは当然のことだが、そのために少しの間のそのような人体に危険の及ぶ可能性のある食物に加工処理をする技術が進んできたというのが、人間の最大の知恵であるということだ。
 食物の長期保存には乾燥や塩漬けなどの方法もあるが、多くの場合、いわゆる添加物として保存料が使われることになる。長くなるので手っ取り早くいうが、非合法に毒性のあるものであったり、極端に多量のものが使われているのならともかく、日本で合理的に流通している食品に含まれる添加物で、健康被害に陥る可能性は限りなくゼロに近い。科学の世界で絶対ということは無いが、売られている食品に入っているもので毒性のあるものが混入されている危険は、日本の社会では考えられないレベルにあると断言できるだろう(もちろん,故意に犯罪として混入されている場合はどうしようもない)。そのおかげで日本では、多くの人が食中毒の脅威から守られているということだ。
 しかしながら世の中の無添加嗜好は根強くあって、そのニーズにこたえるために、企業は多くのコストを割かざるを得なくなっている。冷凍冷蔵技術はもちろん、流通の短縮高速化、そうして極端に短い賞味・消費期限内での販売にしのぎが削られている。そのような行き過ぎたコストをかけながら、結局は日々、むやみに大量の食品の廃棄処分に至って、社会問題化しても改めることをしない。その中では、例えばできるだけ雑菌を抑え込む衛生管理などについては素晴らしいことであるにせよ、そのためにカビにくい食品(パンなど)が生産されると、逆にそのことを揶揄して危険視するような不思議な集団まで生んでいる。そうでありながら無添加のものは消費期限が多少過ぎても、危険を知らずに口にしたりするのである。無添加のものは生産後の消費期限は極端に短い。カビなどの胞子は目に見える前に相当広がっているかもしれない。当然そのリスクは格段に上がってしまい、目に見えない健康被害が広がっていると考えられるのである。
 何が正しいか何が間違っているかは、実に明確に理解可能である。そのような最低知識を得るためにも、必修として読まれるべき本なのである。


追伸:これを書いたのはひと月ほど前の事だが、その間に廃棄処分の商品の横流し問題が起きた。今のところ健康被害が出ているわけではないが、重大な社会問題である。しかしながら、この文章を書いている背景を指して、このような不正を働くいかがわしい業者が生まれたということは考える必要があるのではないか。健康被害が起こりえない、要するにバレることは無いということがあって初めて、このような犯罪行為が大手を振って行われていた可能性が高いということだ。このことで、さらに信用は損なわれ、もっと間違った解釈が世間的にまかり通ることになるだろう。目覚めよ大衆。ミスリードに惑わされない、騙されない知識が必要な時代なのである。
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