カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

肩こりを忘れよう

2016-02-20 | 境界線

 事務的な仕事で座ることが多いのと、移動は自動車、そうしてやはりパソコンを使うというのがあるかもしれない。他でもなく僕の肩こりの原因である。それに近眼で目の使い方が下手だというのがあるかもしれない。さらに老眼が進んでおり細かいものがよく見えない。眼鏡を外すと見えるが、その分実物に近づかなくてはならない。ただでさえ疲れるのに疲れることが多い。人間関係で悩んだりするようなことはずいぶん減ったけれど(たぶん鈍感になったせいだ。いや、それはもともとだったが…)、それ以外でも面倒なことはしょっちゅう持ち上がる。僕抜きにやって欲しい問題もあるが、やらざるを得ず仕方ないことでもある。まあ、しかしそれはそれで多かれ少なかれ、好むと好まざるにかかわらず、誰でもそのような日常を送っておられることだろう。問題を肩こりに戻すと、やはり個人差があって、ひどく凝る人と凝らない人がいるのではないかということだ。
 実は今まで肩こりしないという人は何人か知っている。うらやましい限りだが、そう言えばその中には眼鏡をかけている人もいたような気もする。目の問題だけじゃないのかもしれない。仕事を抱え込んでいるような人もいたし、まあ、ノー天気そうに見えてはいるが、悩みがあるかないかなどは、他人の僕には知りえないことだ。体質のようなものがあるのかしらん。
 外国人の多くは肩こりをしないという。日本語の「肩がこる」という表現にあたるものが、具体的にはちょっと違うということもあるらしい。窮屈であるとか不自由であるとかは普通にあることなんだろうけど、その結果として肩がこるとは限らないということのようだ。もっとも原因となっているような座りながら長時間パソコン相手に何かやるようなことがあって、実際に肩がこるような生理現象があったとしても、それを肩が凝ったと自覚するような習慣が無いのかもしれない。だから多くの外国人は、日本の習慣に慣れてくると、肩こりを自覚するようになることもあるんだそうだ。なんだか変な話だ。
 以前は腰痛持ちでもあったが、これは散歩をするようになってひと月くらいしたらいつの間にか治ってしまった。肩こりもそういう具合にいくらか改善した時期もあった。結局は運動不足が一番いけないらしい。また、風呂に5分は絶対につかるようにしている。寝ているときは出来るだけ肩を布団の外に出さないようにもしている。それらのことは結構効果の実感がある。失敗すると肩がこるからだ。凝ってしまうと何日間は苦しむ。あんまりひどいときはマッサージに行くこともあったが、これはその時は気持ちいいが、ある時ひどく揉み返しが来て苦しんで、やめることにした。聞くところによると、指圧などで血流が拡散して、血行が良くなったと錯覚するだけで効果のない人もいるらしい。実際にほぐれる人もいるだろうから好き好きであるが、僕には特効的でないということか。
 肩こりは苦しいが、その前に、凝らないようにすることの方が、何より大切だ。大切だが、やはり失敗したり忘れたりする。懲りないので、凝ってしまう。肩こりという単語を身に染みて覚えてしまった人間の、悲しい節理なのかもしれない。
コメント
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