ヨーロッパのポピュリズムの台頭を伝えるドキュメンタリーを観た。経済状態も良くないし、政治家のスキャンダルも絶えない。ISなどのテロの影響で移民も大量に流れ込んでくる。そうした中での国民の不満を受け、極端な思想を持つ極右や極左の政党の主張が、多くの大衆の支持を受けるようになっている。以前なら箸にも棒にもかからない極端な主張が、あたかもまっとうに聞こえる土壌が、そこに育っていると考えていいだろう。また、普通なら不満分子のガス抜き程度の支持しか集まらないものが、場合によっては政権与党といわれる勢力も脅かす流れも生まれている。要するに政治的にひっくり返りそうな勢いがあるわけだが、実際には最大の支持を受けながら与党に君臨する気などさらさらない様子だ。
それというのも、実際に彼らは、国が行っている政策のすべてを、単に批判しているに過ぎないからだ。イタリアの極右政党の党首は元コメディアンで、その軽妙な語りですべてのことを批判し糾弾する。人々は熱狂して彼の言葉を聞く。支持はうなぎ登りでありながら、彼が政権与党を奪い政治の主導権を握ろうなどとはさらさら考えてはいない。何しろ非難し糾弾する主体があってこそで、自分らが具体的な政策を作る能力は最初から持っていない。反対すること以外に、彼らの存在意義は無いからなのだ。
単にそういうことなら、やはりガス抜きに過ぎない訳だが、しかしその国の政策決定は、そのために何も決まらなくなってしまう。すべて反対多数の世論が形成される。まちではデモが繰り返され、政治は事実上停滞したまま動かない。大臣などの人事だけがすげ代わり、新たな人は単にまたやり玉に挙げられる新しいターゲットに過ぎない。国の政治が動かなければ、今ある様々な問題は解決する道すら失う。そのままの悪循環が募り、さらに国民は不満を膨らませていくという無限のループを見るようだ。そうして反対勢力はもっと勢いづいて毒を吐くわけだ。
一種のこの世の終わりだが、まったく人間というのはどこまでも愚かになれるということなのかもしれない。おっと、これはしかしヨーロッパだけの話なのだろうか。例えば北の将軍がドンパチ始めると、恐らく日本には大勢の難民が押し寄せてくるだろう。また日本の財政危機は、ヨーロッパの小国とは比較にならない規模である。現在日本の置かれている状況で将来的に希望のあるものは、ほとんど皆無に等しい。今のところそのような危機を平和ボケのように感じていない人が多数だから何とかなっているが、現実を知る人が増えたらいったいどうなるのか。
それでも隣の反応を見てから騒ぐのが日本人かもしれない。お互い目を合わせないで、生活していくよりありませんね。