カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

追悼なぞなぞの師匠フジモトマサル

2016-02-06 | 感涙記

 D・ボウイが死んだと思ってしばらくなんとなく落ち込んでいたが(でもまあ、アルバムは発売されているし、枯渇感ということではないが)、また、モーリス・ホワイトが死んだ。
 政治で世の中を変えるのではなく、音楽で世界を変えるのだ、と言っていた人だったが、まあ、それはそう信じていたんだろう。それなりに早いかもしれないが、ロック・スターとしては二人とも普通の年齢であるから当たり前のことではあるが、悲しいことには変わりはない。
 ところで、雑誌をパラパラ見ていると、フジモトマサルの追悼文というのが目に留まった。ええええええええええええええええええ、である。
 昨年の11月に亡くなっておられたらしい。年も近いし、糸井重里のホームページでなぞなぞをやっている頃に、僕は熱心な読者だった。一回答者だっただけのとこだが、メールを送って返事がきたりもした。主著はほぼ目を通しているし、買っているし、ファンと言ってもいいのではなかろうか。近年の活躍も知らない訳ではないから、(特徴のある絵柄だし)まったくのノーマークだった。病気しておられたのか!
 でもまあ、それより、メジャー社会でも普通に目にすることが増えていた印象があった。
 そういうことを受けて、僕としても普通に、なぞなぞ師匠がなぞなぞを辞めておられることに不満があったにせよ、何より、フェイスブックではあるが、いまだに僕はなぞなぞを毎週出題したりしていた。このもとになるなぞなぞ道のお師匠さんは、他でも無くフジモトマサルさんであり、ひょっとすると、フジモトさんに、このシリーズが届くのではないかという期待が、少しくらいはあったかもしれない。是非、僕のもとで遊んで欲しかった。
 言葉のセンスが抜群で、でも不思議な漫画やイラストを得意とする文化人だったのではないか。闘病をしていたらしいことはぜんぜん知らなかったのだが、僕の第二の青春の友だったと言っていいだろう。フジモトなぞなぞの継承者として、黙とうをささげるものである。
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少しの待ち時間が許せない

2016-02-06 | 雑記

 隙間の時間を利用するのが賢い生活だとして、あらゆる隙間時間を埋めて勉強すること薦めている本を読んだことがある。その先生はシャワーを浴びるとき、まず浴槽に行って栓をひねってから服を脱ぐということを書いていた。シャワーの水は最初は冷たいので、どのみち暖かくなるまで待たなければならない。その時間がもったいない、という話である。まったく笑ってしまったが、しかし確かに僕自身も、この時間は少し持て余す。僕の場合服を脱いで歯を磨きながらシャワーの栓をひねっている。これは無意識の習慣だが、単に待っているより精神衛生上良いような気もする。シャワーの水が暖かくなってもしばらく歯磨きは続くから、そのまま下半身中心に歯磨きしながらシャワーを浴びる。適当に体が温まってからおもむろに歯磨きを終え、体を改めて洗うという感じかもしれない。まあ、それで時間を節約したという感覚は特に無いのだけれど。
 パソコンの立ち上げ時間も大変にまどろっこしい。机の上にはいつも本を積んであるので、この立ち上げ時間を利用してぱらぱらページをめくる。たまにこれが面白くなってパソコンを無視してむさぼり読んだりして効率はあまりよくない。でも、黙って待つのだけはどうしてもできない。
 職場に電気ポットがあり、外から内容量が見える仕組みになっている。僕は特に几帳面な性格ではないが、これの残量が減っているのが妙に気になる。皆がお湯の欲しいときに無いのは困るのではないか。お茶を飲むとき、一人分ならともかく、数人いるときに一人だけ飲むわけにもいかない。そのために沸かし直す時間がさらにもったいない。ところで、シンクのところに蛇口があるのだが、これに濾過機能の付いたものを職場では使用している。これの水を主に飲み水、すなわちポットの水として使用するように、不文律のとりきめがあるようだ。ところがこの濾過機を通過して出てくる水の量が少ないのである。大きめの容器にまずはこの水を取り込むのだが、ポットの容量を満杯にするための、例えば1リットル程度の水が溜まるまで、おそらく1分近く要するのではあるまいか。だから濾過機から水を出すと同時に、何かしなくてはならないといろいろ模索することになる。普通はその場から離れて別の用事をこなしたり(例えばコピーを取るとか)してこの時間をやり過ごす。そうすると、やはり時々この放置時間が長くなりすぎて、濾過機からの水が容器から溢れている状態になることがしばしばだ。垂れ流す水も無駄と言えば無駄である。
 散歩をしていて、交差点などの信号が気になる。ちょうど青で通過したいものである。だから歩道側が点滅になるタイミングを計って、歩みの速度を調節する。余裕があれば、つれている犬が道草を食っても気にならないが、そろそろという感じになると、時には犬の要望を無視してリードを引っ張ったりする。まったくタイミングが合わず残念な長い信号待ちの交差点などにあたると、50メートルくらい引き返してしまうこともある。どうしても立ち止まりたくないということでもないが、ただ待つのがどうにも口惜しいのである。
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