カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ある意味斬新なニューヨーク   ニューヨークで考え中

2016-02-07 | 読書

ニューヨークで考え中/近藤聡乃著(亜紀書房)

 エッセイ漫画。名前は「あきの」と読むようだ。題名の通りニューヨークに住むようになって4年から7年(文中から推測)くらいの間の出来事をエッセイ風に描いている。だいたい見開き2ページで一話になっていて、日常の断片をさらりと紹介している感じ。日本人として困る事、逆に日本の変だったこと、そしてその両方の話題が多い。旅にも出るし仕事もする。食事もするし洗濯もする。なるほどな、と思うことが一番多いが、ちょっと著者の変わっているところも散見される。だいたい穏やかな性格の人のようだけれど、なかなかどうして、それなりにこの街に住みついてしまえるくらい、ちょっとした鋭い、というか逆に緩い場合もあるが、まあ、何というか面白い感覚を持っている人のように思う。もちろんそういう人だからこのような漫画を描いても素晴らしいのだろうし、アニメや絵画なども書くようだが、そのようなアーティストとして生きていく力のある人なんだろう。そうしてたぶん、これからもずっとニューヨークで暮らしていかれるのでは無いだろうか。
 ニューヨークといっても地区によってずいぶん趣の違うようで、まさにアメリカの雑多な活力のようなものも感じられる。しかしながら緩やかに形作られている日本とは異質な世界がそこにはあって、個人としてはそれなりに苦労したり楽しんだりできるようだ。当たり前だが言葉にも苦労するし、しかし日本語にも変なところがあったりすることにも気づかされる。何かやりながら(例えば料理とか)話をすることは大変で、しかしリラックスするとそれなりにペラペラ話せたりもする。知っている単語でも感動しているときにすっと出てくる言葉としては、実感としてしっくりしなかったりする。まったくそうかもしれないな、ということが、面白おかしく紹介される。そして少しだけ考えさせられるということだろうか。
 人は、北朝鮮だとか限られた地域に生まれない限り、基本的にはどこで暮らそうと自由になったと考えられる。しかしながら人間というのは集団行動をするために都市を合理化してきたわけで、その大都会の代表的なところの一つがニューヨークだろう。著者のような芸術家のような人々にとっては、創作の糧にもなっているのかもしれない。そのような刺激があって、でもなんとなく緊張感の感じられない、まったく新しいニューヨークを見たような気がする。生きているうちに行くことがあるかは疑問だが、個人の数だけ都市の魅力というのは違うのかもしれないな、と思ったことだった。
コメント
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