カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

昔から恐るべき人

2016-02-10 | 音楽

 先日中島みゆきの特集をやっているテレビを見た。多くの人が中島みゆきの楽曲を歌っていた。もちろん僕も中島みゆきのことは知っている。歌われていた歌もけっこう知っていた。要するにそれだけたくさん売れる曲を書けたということであり、売れる歌を作れるというのはすなわち天才なんだろうと思われる(売れない歌なら、プロでなくても無数に作られることは可能だからだ)。それは誰もが認めることで、さらに中島みゆきを自分で歌いたい人が相当数いるのだということを改めて知った。そうして他人に楽曲を提供しているからというだけでなく、今は特に中島みゆきの歌をカバーして歌うという行為自体が、大変に歌手の間で競われるように行われていることも知った。そういえば、あんまりテレビを熱心に見ない僕のような人間であっても、例えば「糸」という曲などは、複数の人が歌うのを見た覚えがある。この曲などは特に巷間でヒットした歌という印象が無かったけれど、確かに歌自慢の歌手が歌うとそれなりに様になるいい曲である。
 中島みゆきは僕の子供の頃から歌っている息の長い人気歌手である。ところが僕の若いころにはなぜだかテレビに出ることは無くて、曲がヒットしているとはいえ、その動く姿を見ることは出来なかった。写真では美しい人のように見えたが、現在も美しい人には違いないが、若い頃には何か事情でもあったんだろうかといぶかったものだ。ところがラジオ番組では声を聴くことが出来て、もの凄くふざけた口調で変なことを言う人だということを知って、さらに驚いた。極端にアングラ的というか、マイナーな感じで一般的でない。しかしそこが逆説的に良くて、歌以外でも熱烈なファンがいたようだ。
 大人になって、女性でなくてある知り合いの男性から、どうしても中島みゆきを聞くべきだという話を聞いて、仕方なくだまされたと思ってCDを買ったことがある。さっそく通勤で聞いてみた訳だが、帰りの夜道でなんだか怖くなって聞き続けることが叶わなかった。歌声も怖いのだが歌詞が特に怖い。これを延々と聞き続けられるというのはある種の才能が必要ではないかと感じて、そのまま聞くことは無かった。
 しかしながらその時は僕も若かったのだろう。今聞くとそんなに怖いわけではない。内容のほとんどは僕には理解しかねるにせよ、感動する言葉づかいもけっこうある。また曲のアレンジというか、なかなか斬新なものもけっこうある。特に歌詞が注目される人だけれど、音楽に対する全般的な造詣の深さがうかがわれる。
 ドキュメンタリーでも紹介があったのだが、ステージでは、演劇ともつかぬミュージカルとも違う、独特の演出を施して何曲も歌うようなことをするらしい。これを見に来る客も、中毒のようにリピートするようになるらしい。そういう意味ではサービス精神も旺盛で、若いころにテレビに出なかった訳は知らないまでも、ある程度自分の世界を、自分の演出のもとに表現したいという考えのある人なのかもしれない。
 声量はあるが歌いまわしは独特のものがあって、やはり女性なのでかなりキーが高い。それでも工夫して男でも結構歌う人がいる。中性的ではないのだけれど、それでも結構様になる曲も多い。極端に複雑な楽曲が多いわけではないが、幅も広く、新しく書かれる曲は、やはり時代を映すような斬新さが確かにある。そうして、どういう訳かあまり古びることが無いのである。それだけシンプルで普遍的なところがあるということなのだろう。
 以前から大変に人気がありながら、また、その功績が積み重なって、今非常にウケる要素がそろっているということかもしれない。そういう人が他にいないとは言えないが、改めて日本を代表するような偉大さを享受できる状態にあるようである。時々だが、やっぱり僕には怖くなってしまうことがあるのだけれど、それはまだ僕にも若さが残っているということかもしれない。まさに恐るべき人なんであろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする