だまされたコロンボ・刑事コロンボ/ダリル・デューク監督
通常のコロンボのお話の展開とはかなり違う。そういう訳で、実を言うと途中でトリックのタネがすべて分かってしまった。観てる方がどうしても疑いの目を向けてしまうのだ。さらにこの邦題が良くない。残念ながらそういう予想はすべて当たってしまって、さらに(後の殺人の)死体の隠し場所まで途中で分かってしまった。僕個人としては完全勝利だけど、もともとトリックが分かっていてどうやって犯人を追いつめるのかが面白いドラマなので、通常の推理展開だとやはり駄目なのかもしれない。
とはいえ、犯人役の青年は嫌な感じでなかなか良くはあった。対するコロンボの行動は不自然だったけれど、最後の〆は上手くいっている。二つの大きなトリックを贅沢に使った話と考えると、お得感のある人もあるかもしれない。
考えてみると新シリーズは、僕はほとんど見ていなかったようだ。まったく覚えがないのは僕の学生時代と重なるせいかもしれない。日本での放映がいつ頃だったのかは更によく知らないのだが、ドラマに出てくるファッションとか音楽、そしてこの回の様に水着の女性が矢鱈に出てくるような時代背景は、まさに僕の若い頃の時代背景と重なる。今も何となくその名残はあるものの、例えばこの時代の小説なんかでも、やたらにお話と関係の無い性描写なんかがあったりして、いわゆる制作側の過剰なサービス精神のようなものを見てとれる。僕がもう少し若かったらそれはそれで少し得した気分になれたかもしれないけれど、本当にお話の本筋からすると余分なものである。そうでなければ売れないとか人気が出ないという考えが透けて見えていて、「コロンボ・シリーズよ、お前もか」ということかもしれない。もっとも製作費があがってそういう金のかけ方の可能になったことを考えると、コロンボ自体の人気が米国においても相当であるという証明にはなるのだろう。
ドラマにも世相は反映される。そういう風俗を取り入れることで現代性が現れることに、逆に古さを感じさせられるというのは皮肉なことだ。コロンボの姿だけがよれよれのレインコートであるというだけのことで、逆に変わらないものなんてやはり無いのだということを考えさせられたのだった。