カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

求む、ふつうの人

2013-05-24 | 雑記

 僕らのような仕事をしていると、時々他の業界の人からむやみに褒められることがある。ありがたいこともあるが、くすぐったい。「大変な仕事」をしてるから、ということらしいけど、大変じゃない仕事の方が少ない気もする。そのうえで「誰かがやらなくちゃならない仕事ですからね」とねぎらわれるわけだ。
 学生時代に他の科の先生からこんなことを言われた。
「自分は最初からアメリカにあこがれて、そうして英語を必死で勉強して、最終的には教師になったが、しかし周りには当然福祉を目指す奴なんて全くいなかった。アメリカで一旗揚げたいとか、企業でバリバリ働きたいというのは、若い精神としてよく理解できる。ところが君たちみたいに若いうちから福祉の業界に飛び込んで働きたいという感情が、今一つ理解できない。それは悪いことではないのだろうが、しかし、最初から目指すところなのだろうか?(大意)」
 僕はこの先生の言わんとすることはよく分かるのである。いわゆる健全な精神であるとさえ思う。別にだからと言って後ろめたい気持ちがあるわけではないが、僕だって最初から崇高な精神性をもってこの業界に入りたいと考えているわけでもない気がしていたからだ。
 先日ある若い人を面談していて、どうしてこの仕事を選ぼうとしたのかと訊ねた(まあ、ふつうは聞きますね)。この人は転職組で、前に他県の老人ホームで働いていた。
 実はぜんぜん最初は目指していなくて、軽い気持ちの方が強かったのだという。人のためになるだろうという期待はあって、やる気がなかったわけではないが、むしろ下のお世話のにおいや、時には利用される方から暴言や抵抗にあって戸惑うことが多かった。でも、においなどのようなことは慣れていくし、抵抗されることも、不条理なこともあるが、仕方のない面もある。普段はあんまり感謝されるような場面もあるわけではないが、時々、本当に時々、感謝をされて嬉しく思ったり、お世話をすることで充実感を味わったりすることがある。自分は本当にこの仕事が好きなのかは分からないが、これからも続けていきたいとは思っている。ということだった。
 お話としてはそういうことで、たぶん僕も多かれ少なかれこの人のような感じが、僕らの業界人の感覚なのではなかろうか、と思ったわけだ。特に人に褒められるような仕事でも、崇高なものを持った人間が取り組むべき世界でもないと思う。もちろんそういう人が目指した方がいいのかもしれないけど…。
 しかし、うまく言えないが、そういう人であるからこの仕事がしたいというようなことを言われると、ちょっと戸惑ってしまうかもしれない。ちょっとばかり遠回りしたり、途中で悩んでしまったり、時にはひやりとするような失敗をやらかしてしまった人こそ、かえって信用できるということもあると思う。つまり普通の人。そういう人こそこの業界に一番向いているんではなかろうか。まあ、具体的にはだから、ちょっとうまく言えないですけど…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする