カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

世界遺産は嬉しいか

2013-05-10 | 時事

 富士山の世界遺産登録は、おおむね喜ばしいニュースということになっているようだ。富士山周辺の観光関連の会社などの株価も軒並みあがって、大変景気がいい。「ヒマラヤが急伸」と書いてあるのを見て、思わずなんでよその国の山が!と思ったが、スポーツ用品店の株価だった。期待も大きいが、やはりその効果そのものが将来的には大きいのだろう。経済的に潤うことは、たしかに大変にいいことではある。日本人の心がどうだというのにはまったく興味は無いけど、懐に良いというのなら話は別である。
 一方でアルピニストの野口健さんなどは懸念を表明している。ただでさえゴミだらけの汚い山が、さらに荒らされることになるということらしい。屋久島なんかも世界遺産登録でひどいことになっているという。かくいう僕もいつか行ってみたいと素直に思う訳で、やはりそういう気持ちにさせられることが問題と言えば問題だ。世界遺産登録への思惑ということでは、まったく意に反しての結果を呼び込むことにつながるということらしい。
 富士山の近くに住んでいる訳ではないからまったく思い入れは違う訳で、当初は地方のお喜びニュースだと思っていた。しかしながらそのような影響があることを思うと、世界遺産という考え方そのものに、なんだか疑問を感じるのは確かだ。
 実を言うとNHKの世界遺産という5分の番組をコツコツ見るのを楽しみにしていて、それなりの数の世界遺産を堪能している。いろんな種類があって、建物だけでなく、自然や文化なども登録されている。さすがに歴史のあるイタリアのものが多いのだけど、いかにもという西洋的な文化的価値観を理解できる訳で、世の中は偏見に満ちているということが学習できる。
 まあ何が言いたいかというと、世界という名前を冠しているけど、そういう権威主義にあやかりたいというのは、やはり何となく情けないのかもしれないな、ということである。良いものは良いんであるなら、向こうから頭を下げて登録させてくれ、ということにならないのだろうか。という考え方そのものも日本的なのは悲しいところだが、主張しなければ認めないという文化に馴染んで行く過程としての日本の姿であるなら、もうこれはしょうが無い問題なんだろうか。僕もいずれは死ぬから、どうでもいいのかもしれないけど。
 ただでさえ数が多過ぎてありがたみが薄れているようにも感じる世界遺産。ポケモンの数が増えるのとはわけが違う訳で、そろそろ打ち止めにしてくれないものだろうか。
コメント
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