アイアン・スカイ/ティモ・ブオレンソラ監督
最初はなんだか見たこと無い俳優が多いから、よくハリウッドで企画が通ったもんだと思ったが、後で調べたらハリウッド映画では無かった。アメリカの自虐ネタもあけすけで良くやるもんだと思ったが、どおりで合点がいった。本音で語っていただけのことなんだ。要するに本当に自虐的なのは本国ドイツのナチス・ネタということであって、いまだにこのような病理が生きているかもしれないという恐怖が、どこかに潜んでいるものなのかもしれない。
日ごろ見慣れている映画の常識とのずれがある。知らず知らずアメリカ・ナイズされているということなんだろう。行き過ぎ感や足りなさ感が両方ある。ピントのずれのような感じかもしれない。ふざけているが、どこか客観的になってしまうのかもしれない。見えている世界や、感じている常識が違うのであろう。結果的にはそれなりに面白いので、そのギャップを楽しむのも手かもしれない。アメリカ人には向かない話かもしれないし、しかし本当は日本にだって向かないかもしれない。そういう向かない文化を考察する。少しばかりは共感だって生まれないとは限らない。
世界は狭くなったと当時に、やはりどこかわけのわからなさというのは分散しているようにも思う。極めてハリウッド的に作られていることがこれほど明確なのに、どうしてもいわゆるそれ的では無い。結果的にやはりずいぶん違う世界観の中に生きている訳だ。もちろん冗談だから共通のものが多い。そうでなければ笑えない。笑えるが、どこか不思議。そういう感覚を磨けるかもしれない。
荒唐無稽な世界観だが、しかし背景のエネルギー問題もある。米国の大統領は選挙のためにやっているのだが、しかしそれを利用した国の協力者は折角だからエネルギーの調査をしようとしていたのだ。壮大な核戦争になってしまうが、悲惨な感じはあまりない。問題はその後の世界がどうなるかで、やはりエネルギーをどうにかしなければならない。荒唐無稽なぶっ飛んだ話の根拠が、そういうリアリティをもとにしているように見える。各国が協力しているのも、実は出し抜こうとしているのも、そのような利権が背後にありそうだ。厳密には何のリアリティも無いが、少なくとも風刺としては効いている。あんがい普段の生活は真面目な人たちが映画を作っているのかもしれない。それとも、大国に抗うための手段として、普段から意識にあがっている問題なのかもしれない。
馬鹿げた映画を観て、結局そういうことを考えてしまう。風刺というのは、人間の想像力に火をつける作用があるのかもしれない。