カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

壮大な愚かさの連鎖の物語   ソーシャル・ネットワーク

2012-04-27 | 映画

ソーシャル・ネットワーク/デビット・フィンチャー監督

 見終わって思い出したのはグレート・ギャッツビー。最初はぜんぜんそんな感じじゃなかったのだけど、ザッカーバーグはギャッツビーだったのだ。そして、多かれ少なかれ失恋男子の代表ということなのだろう。
 単純なサクセス・ストーリーでは無い。何しろ現実的な結果は多くの人は知っている訳だ。そして本人は現在も健在で、なおかつ若い。実話の映画というのはたいてい実話では無いことが多いのだけれど、これもひょっとすると違う面もあるのかもしれないけど、恐らくかなり本当のことが含まれているに違いない。そうして彼はこの映画の作りを認めているのだろうから、さらに驚きだ。あり得ないことだが、想像力を膨らませて考えてみれば分かることだろうが、自分自身のこととして、このような映画を作られることに耐えられる人間というのは、どれくらいいることだろう。
 やっていることは人間としてどうなのか? という「?」がどんどん溜まっていくような話が続いて行く。訴訟の全貌ということなのだから犯してきた悪さを積み上げているということなのかもしれないが、それにしてもひど過ぎるだろう。そういう人間がどんどん成功して行くというのはスリリングな快感があるのは確かだが、ちょっと複雑な気分というか、なんだか逆に落ちぶれていくようなものである。殺人を犯さないというだけのことであって、他人を陥れたり騙したり裏切ったりのオンパレードである。
 そういう人間である当人は、しかし極悪人では無いのである。単純にオタクで冴え無い、しかし多少は頭のいい青年である。野心はあるが、本当に金持ちになりたかったのかどうかさえよく分からない。女にだってほとんど目もくれないように見える。ビールは連続して飲んでいるようだけど、基本的にパソコンの前に座っている。何を考えているか分からないというより、思っていることを口に出し過ぎるくらい(それで失敗しているように見える)の、ある意味で変な奴だけど素直な空気の読めない人間のようだ。辛辣だけれどユーモアだってある。いささかやり過ぎだけれど。
 こういう人間が好きか嫌いかと言えば、とても好きにはなれそうにもない。しかし、やはり魅力的なのだ。それは、成功していくからか、金を持っているからか、ある意味で実行力があるからか。たぶん、全部NOだ。でも実は、彼は、人間的だからだ。人間的にクズのような事ばかりやらかすオタク青年のどこが人間的なのか。それは映画を観るしかない。好き嫌いは分かれる映画かもしれない。しかし、僕は人間ドラマとしてかなり秀作だと太鼓判を押したい。嫌いだけどいいじゃないか。人間の生き様として、実は彼は素直で正直なのだ。実際に汚れているのは誰だ? そんなことまで考えさせられてしまう。
 しかしながら日頃からフェイスブックにはお世話になっているのだけど、美人投票が元だったとはね。そういう最低で下らないものが、世界的に席巻して僕らの生活を変えてしまう。現代社会というのは、なんとダイナミックなものなのだろう。人間って愚かだけど、面白い生き物だとつくづく思いますよ、実際に。
コメント
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