カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

おにぎり怖い

2012-04-14 | HORROR

 僕はいわゆるゲテモノ食いというのは割合平気で、アジアの国々で食されるキワモノはだいたい何の抵抗も無く食べることが出来るようだ。生の昆虫(幼虫)みたいなものだけは何となく苦手だが、現地の人と一緒だと、その空気感が共有されて、口にするのは大丈夫みたいだ。タイでカナブンやゴキブリを出されたが、はっきり言って美味しく頂いた。福建で蛇やアルマジロ、厦門ではカブトガニなんかも食った。ネタで記念に食べたのではなく、名物的な食事に過ぎない。犬や猫はさらに普通に大丈夫だ。日本でもイナゴなんかがあるが、旨いとは積極的に思わないだけの話である。デマではあるけれど、マクドナルドの肉がミミズであったとしても、それが何か?という気分になるに違いない。
 そうではあるんだけど、僕にも苦手な食べ物がある。それは何かというと、おにぎりである。時々握り寿司でも意識してしまうことがある。
 先日テレビでインド人の食事風景が流れていたが、これもなんだか苦手だった。それは彼等が直接手でものをつかんで食べるせいだと後で気づいた。
 僕は手でつかんだものを口に運ぶというのが苦手らしいと分かった。不潔というかなんというか、気持ちが悪くなるのである。だからそういう場面を見なければぜんぜん平気で、コンビニや座敷に並んでいる食べ物ならそういう気分を忘れて食べることが出来る。
 これはたぶん教育のせいで、母から何が不潔で何が清潔かという話をさんざん聞かされたことが大きいような気がする。如何に家庭の料理は清潔に調理されているかということを繰り返し聞かされたせいで、逆に他人の作るものが信用できなくなってしまった。その後実際にレストランでバイトしていて厨房の風景を目の当たりにして、本当に衝撃を受けたことも大きかったかもしれない。ちなみにその店は現在無いのであしからず。
 だから不思議なのは自分で食べ物を床に落としてもぜんぜん不潔な気分にならないので、他人を信用できなくなったということがやはり大きいように思う。きれいに手を洗っている場面を実際に見ても、どうにも気分は治まらない。
 クリストファー・ノーランの映画に「メメント」というのがあって、短期の記憶しか出来ない男の物語がある。本当に記憶が無くなるのか試すために、彼の飲み物に唾を落としてのませる場面がある。本当に記憶が無くなるので、彼は一定時間過ぎると平気でそれを飲んでしまう訳だ。思い出すだけで実に気持ちが悪い。だが、もちろん映画は傑作なのでぜひ観るべきだが。
 最近はビニールの手袋をして調理をする風景が普通になった。これは本当に助かる。僕の心の平穏が、かなり上がった感じがする。
 しかしながらたまにだけれど、公民館などで寄り合いがある時がある。集団で食事をすることになって、そして時におにぎりが出されることがあるのだが、これが何より恐ろしい。
 僕が大人になって酒飲みになったのは、ひょっとするとこの恐怖から逃れるためかもしれないと思うことがある。アルコールが入ると気分が大きくなって、多少のものは口に運ぶことが出来るようだ。むしろ危険度が高まっているのだから皮肉な話だけれど、嫌なまま食べなければならないよりは、断然ストレスが違うのだろうと思われる。
 オープンキッチンは調理場を見せることで、清潔さなどを客にアピールでき信用をさせる効果もあるものとは考えられるが、そういう訳で僕は何となくこれが苦手である。僕は騙されてもいいので、そういう過程をショートカットした方が安心出来るようなのだ。
 ちなみにおにぎりは大好物なので家ではバクバク食べる。子供の分まで食べてしまって、怒られるくらいだ。つれあいに毒を盛られたとしても平気で食うに違いなくて、暗殺をするならつれあいと結託した方が早道だと思われる。そして、その場合は致死量を間違わないように。せっかく苦しむのだからちゃんと死なせて欲しいものである。
コメント
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