カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

偉そうだと思う偉そうな自分

2012-04-17 | ことば

 「上から目線」という言葉がときどき分からなく思う。いや、意味は分からないではないのだけど、この言葉が使われている場面が、何となく分からなくなる。直訳してみると、偉そうなもの言いや態度、という感じなんだろうけど、つまりある発言がなされる時、多くの場合非難として使われているとは了解している。
 石原慎太郎のような人だと、僕でも何となく理解しやすい。偉そうというより、はっきり人を見下しているのは良く分かる。周りの人間が馬鹿に見えて仕方ないんでしょうね。確かに本当に馬鹿な人もいるのだろうから、お気の毒な気がしないではないが…。
 しかしながら考えてみると、石原慎太郎は都知事であって僕より年上だ。横柄な人には違いないが、僕が面と向かって話をする機会があるとすると、あのような態度で話をされたとしても、そんなに腹が立たないような気がするのである。そういう人物という了解があるのもそうだけれど、僕より偉くてもぜんぜんかまわないという感じもするのは確かだからだ。第一僕はぜんぜん偉くないのだから、石原慎太郎以外の偉そうな人から上から目線で話されても、やはりまったく平気である。もちろん知らない人からいきなり偉そうに何か言われると頭にくることもあるかもしれないが、頭にくるよりびっくりする方が先のような気がする。
 僕は録画以外のテレビはほとんど見ないのだけど、そういう訳でタイムリーなニュースはなかなか見る機会が少ない。多くの人は、テレビに出てくる人物を評して、上から目線の発言や態度を非難しているケースが多いように思う。
 そう言われると心当たりがあって、僕はみのもんたや古館一郎が何か意見を言うと、ちょっと不機嫌になることがある。よくもまあ無責任にものが言えるものだなあ、と呆れるからで、それは僕が彼らを馬鹿にしているせいだろうと思う。実際に彼等は本当に馬鹿にしか見えないから、あれはテレビの演出なのだろうと疑っている次第だ。しかしながら繰り返しになるが、僕が彼らに実際に会って話をする機会があるとすると、たぶんぜんぜん見下されて平気に違いないとも思う。テレビを見る分には不快だけれど、身近にいてもたぶん平気だろう(実際には独特のオーラを感じるかもしれないが)。
 思うに僕らは、テレビに映る人物に対して上から目線の立場にあるのではあるまいか。視聴者という立場は箱の中の人より上位に位置しており、したがってその箱の中の下々の者が、何か意見を言うのが気に食わなくなるのではあるまいか。ある意味でお金を払って視聴している立場というものが、上から目線で彼らを断じさせる気分を醸成しているのではあるまいか。
 僕は人間に上下は無いという思想は好ましいものだとは思うものの、やはり世の中には上下関係というのは現実的に存在することを認めている。理想は理想として、現実的な人間社会というのはそういうものだと思うからだ。実際にその上下関係をどのように使うのかということで問題が生じた場合に、改めて問題視すべきなのかもしれない。上から目線そのものより、やはり内容が大事なんだよな、という議論をこころがけたいとは思うのであった。
コメント
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