カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

何故ソーダじゃない?

2008-02-11 | 散歩
 今回は珍しく完全休業をしているわけであるが、まったく予定がない。やることがないと不思議なものでさらに何もやらない。
 しかしながら散歩だけはまじめに励行しているわけで、歩くことが仕事のような気もしてきた。出かける前はなんとなく憂鬱にも感じる。一種のスランプのようなものなのだろうか。
 天気は曇ったり晴れ間が見えたり。それなりに風は冷たいが、ひどく寒いというわけではない。歩く前にはセーターなどを脱いでからジャンバーを羽織る。外に出てすぐには寒いけれど、しばらくすると暖かくなる。ついには服を脱ぎたくなるに決まっているので、最初から脱いでおくのである。脱ぎ忘れると、途中でセーターを手に持ったまま歩きとおすことになってしまう。手は冷たくなるし、何か持って歩くだけでなんとなく不自由な気さえする。

 先日子供がジュースを飲みたいというので買ってやるついでに自分もカルピス・ウォーターを買った。どうしてソーダじゃないの? と聞かれたが、さて、どうしてだろう。実はカルピス・ソーダは飲んだことがないような気がする。ふと珍しくカルピスのある自販機が目に留まるが、やっぱりカルピス・ウォーターのボタンを押してしまった。なぞは解けないままだが、僕は一方的に水の方が好きなのだろう。
 それにしてもカルピスは増量缶のほうが120円でペットボトルが150円である。容器が違うので当たり前ということだろうか。この寒空に増量缶を飲みきる勇気がないのでペットボトルにすべきか悩んでしまう。せめて普通の量のものも並べて欲しいがそれもない。躊躇しながら結局ボトルの方を買ったのだが、ペットボトルを手に持って歩くのも煩わしいので無理にこの場で飲みきることにする。すぐに飲んで空きボトルを棄ててしまいたい。後で捨て先を探す労力を考えるだけでなんとなく億劫だ。それなら最初から増量缶の方を買うんだったなと後悔する。
 僕は甘ったるい飲物は普段は敬遠しているが、カルピスだけは別である。子供のころにカルピスの原液をたくさんだすと怒られた。緊張しながら少しずつコップに注いだものである。大人になりお歳暮だか中元だかで、どうせ誰も飲まないからということで一本僕がもらったことがある。丸々原液のカルピスが自分だけのものになったのだ。なんという贅沢なことだ。感動して思いっきり濃い目のカルピスを作って飲んだ。甘すぎてとても飲めたものではない。また水を足しなおしてだんだん薄くなるカルピスの味を確かめた。味としては薄すぎず、さして濃くもない一点のラインのあることが分かった。自販機のカルピス・ウォーターは僕の好みの一点ラインより少し甘いところである。もう少し薄味の甘い液体を、暑い夏の日差しの中で、ごくごくカランと飲んでみたいものだと思う。今は寒すぎてカルピスの白はちっとも魅力的ではないのであった。
コメント
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