カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

卒業の御祝いをしていただく

2008-02-17 | 雑記
 僕の都合で延期させてもらっていた卒業の祝いを開いていただく。まだランタンフェスティバルが開催されている長崎市内だったので、ものすごい混雑である。いや、本場支那の国でも春節は盛大なものだが、福建華僑のこの長崎でも、なかなかどうしてかなりのものである。とにかく身動きが取れなくて、駐車場を探すのに閉口してしまった。
 当時の青少年委員会のメンバーが中心であるこの会なのだが、僕だけが年少というだけで、皆さん錚々たる先輩方である。なんて、実は気心は知れていて、久しぶりなのであることは確かだが、すぐに馴染んだ空気になって笑いのたえない楽しい会となった。それぞれ妙に落ち着いているようであり、変わらぬ青年という感じでもある。馬鹿なことも話題に上がって、楽しいひと時だった。僕をネタにお祝いだったからということで、すべてロハというおまけ付である。これはかなり後が怖いものになってしまった。
 特に面白いと思ったのは、皆なんとなく遠慮や配慮に気が利いているあいだでありながら、それなりに自分の話になると暴走する傾向にあるということであった。僕自身は、正直に言うとそんなに自覚はないが、いつのまにか暴走することは知っているけれど、回りの仲間のその暴走振りを見るということは、最近は少なくなっていた。「ひとの振り見て…」というヤツで、ははあ、俺もこのようなものかも、と思った次第。反省も含めて、楽しいのではありました。許せる仲間であれば、厳密には別に暴走ではない。僕自身が久しぶりに反省する必要があるのみである。
 近況という意味では、不思議なほど自分自身の話は少なかった。聞いてもいいが、なんとなく控える。だんだん分かればいいのかもしれない。久しぶりに参加するというか、こういう場にも久しぶりの人もいる。少しばかり太ったようで、顔つやもいいように思う。それで万事いいのである。いや、わかりはしないが、そう思った。
 次回の期日は知らない。しかし、また自然に集まるのではないか、という程度で散会する。思ったより千鳥足で、フフフ、と、愉快な気分になった。十年ちょっと前の時代であるけれど、青春というような恥かしいような、そんな気分が少しだけよみがえったような気がしたのだった。
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冬仕事の算段

2008-02-17 | 雑記
 冬のあいだにやっておくべき仕事というのがあって、夏の農繁期で出来ない時間のかかるものをこつこつ手がけることになる。段々畑の石垣の修復をしたり、イノシシが荒らした畦をならしたりとか、そんなことだ。
 木というものも、年々伸びてゆく。水路の脇にタラの木が伸びているのは以前から知っていたが、その周りにいつのまにか竹やぶが侵食していって、すっかり隠れてしまっているように感じていた。もともとそれなりに大きな木に成長していたが、竹の勢力に押されたためか、さらに枝を大きく伸ばして、その分自分の影も伸ばしていったようなのである。水路の谷の下に広がる茶畑に影が届くようになったと聞いたのは、つい最近の事だ。水路の向こう側とこちら側で、どうも責任の度合いが違うらしく。確かにその大きくなったタラの木は、こちら側の責任領域に根をおろしているのだった。
 影がかかるのなら仕方のないことだ。何とかしなければならないのだろう。
 竹やぶの中を下っていって木の根のそばまで来ると、やあ、実に改めて立派なものだ。うねるように巨体が曲がり、枝は縦横に伸びて広がっている。冬の今は葉がないが、春から枝先から芽がさらに伸びてどんどん葉っぱがついていくのであろう。その枝先が陽をさえぎる先に茶畑が広がっているのである。
 しかしながらこれだけの木を倒すのは大抵のことではない。ただでかいだけでなく、急な斜面の途中である。水路が通っているとはいえ、大水の時の排水路である。下ってくる途中は孟宗竹が生い茂って行く手をさえぎっている。重機のアームにロープでもかけて固定して切ろうと思っていたが、とてもそのような処置で支えきれるものではなさそうだ。先に竹を切り、道を確保して、木に登って順に枝を落とし、ワイヤーで固定しなおして本体を切るという工程を組みなおす必要がありそうだ。切った上にさらに細分化し、引き上げてしまわねばならないだろう。木自体は立派なものだから、鎌屋などが使うには最上ではないかとも言われている。だが、それも切った後のことである。
 普通一本ぐらい木を切るぐらいなら半日もあればなんでもないが、一人では難しい上に、相当段取りが必要であることは間違いない。区長さんなどにも相談して、ウチのスタッフ数名を確保して、何日か取っ組み合いをすることになるだろう。
 寒空の中、そんなことをして、残りの冬計画を練る。出張の後は、体を動かす仕事が待っているということである。それはそれで楽しいのであるが、本当に僕らに出来るのかなあ、とも思う。しかし金はないから体を動かすよりない。出来るようになるより仕方ないようである。
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