僕の都合で延期させてもらっていた卒業の祝いを開いていただく。まだランタンフェスティバルが開催されている長崎市内だったので、ものすごい混雑である。いや、本場支那の国でも春節は盛大なものだが、福建華僑のこの長崎でも、なかなかどうしてかなりのものである。とにかく身動きが取れなくて、駐車場を探すのに閉口してしまった。
当時の青少年委員会のメンバーが中心であるこの会なのだが、僕だけが年少というだけで、皆さん錚々たる先輩方である。なんて、実は気心は知れていて、久しぶりなのであることは確かだが、すぐに馴染んだ空気になって笑いのたえない楽しい会となった。それぞれ妙に落ち着いているようであり、変わらぬ青年という感じでもある。馬鹿なことも話題に上がって、楽しいひと時だった。僕をネタにお祝いだったからということで、すべてロハというおまけ付である。これはかなり後が怖いものになってしまった。
特に面白いと思ったのは、皆なんとなく遠慮や配慮に気が利いているあいだでありながら、それなりに自分の話になると暴走する傾向にあるということであった。僕自身は、正直に言うとそんなに自覚はないが、いつのまにか暴走することは知っているけれど、回りの仲間のその暴走振りを見るということは、最近は少なくなっていた。「ひとの振り見て…」というヤツで、ははあ、俺もこのようなものかも、と思った次第。反省も含めて、楽しいのではありました。許せる仲間であれば、厳密には別に暴走ではない。僕自身が久しぶりに反省する必要があるのみである。
近況という意味では、不思議なほど自分自身の話は少なかった。聞いてもいいが、なんとなく控える。だんだん分かればいいのかもしれない。久しぶりに参加するというか、こういう場にも久しぶりの人もいる。少しばかり太ったようで、顔つやもいいように思う。それで万事いいのである。いや、わかりはしないが、そう思った。
次回の期日は知らない。しかし、また自然に集まるのではないか、という程度で散会する。思ったより千鳥足で、フフフ、と、愉快な気分になった。十年ちょっと前の時代であるけれど、青春というような恥かしいような、そんな気分が少しだけよみがえったような気がしたのだった。
当時の青少年委員会のメンバーが中心であるこの会なのだが、僕だけが年少というだけで、皆さん錚々たる先輩方である。なんて、実は気心は知れていて、久しぶりなのであることは確かだが、すぐに馴染んだ空気になって笑いのたえない楽しい会となった。それぞれ妙に落ち着いているようであり、変わらぬ青年という感じでもある。馬鹿なことも話題に上がって、楽しいひと時だった。僕をネタにお祝いだったからということで、すべてロハというおまけ付である。これはかなり後が怖いものになってしまった。
特に面白いと思ったのは、皆なんとなく遠慮や配慮に気が利いているあいだでありながら、それなりに自分の話になると暴走する傾向にあるということであった。僕自身は、正直に言うとそんなに自覚はないが、いつのまにか暴走することは知っているけれど、回りの仲間のその暴走振りを見るということは、最近は少なくなっていた。「ひとの振り見て…」というヤツで、ははあ、俺もこのようなものかも、と思った次第。反省も含めて、楽しいのではありました。許せる仲間であれば、厳密には別に暴走ではない。僕自身が久しぶりに反省する必要があるのみである。
近況という意味では、不思議なほど自分自身の話は少なかった。聞いてもいいが、なんとなく控える。だんだん分かればいいのかもしれない。久しぶりに参加するというか、こういう場にも久しぶりの人もいる。少しばかり太ったようで、顔つやもいいように思う。それで万事いいのである。いや、わかりはしないが、そう思った。
次回の期日は知らない。しかし、また自然に集まるのではないか、という程度で散会する。思ったより千鳥足で、フフフ、と、愉快な気分になった。十年ちょっと前の時代であるけれど、青春というような恥かしいような、そんな気分が少しだけよみがえったような気がしたのだった。