カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

突然の意見の強さ

2008-02-04 | 雑記
 PTAの全体会というので久しぶりに司会をする。煩わしいことは嫌いだし(誰でもうそうだろうけど)進んでこういう役をする気は毛頭無いけれど、やっているときは程よい緊張感があってそんなに悪くない気分である。余分にしゃべりたい衝動にもかられる。自分なりに自制を効かせて、タイミングを計り進行していく。
 予定時間より10分ほどオーバーしたが、もともとの計画に無理があったと思う。無責任に言わせてもらうと、打ち合わせにも参加せず、言われたまま進行したのでどうにも手の打ちようは無かったのである。挨拶をされた皆さん方が、それぞれ時間をオーバーした結果の積み重ねがこうなったということであろう。
 また、直前(本当に式の始まる二分前)になって新たに一項目加えてくれという要望もあった。楽屋裏の音響さんと司会の僕にいきなりこうしてくれと通達が来るだけである。嫌だという選択が無いし、意見を差し挟む選択も無い。現場で打ち合わせをして進行を組み立てた人より、あとからその場で意見を言う人の方が意見が通りやすいというのは日本的な現場だなあ、と久しぶりに思った。また進行してくる途中に同じことを念押しに耳打ちしてくる役員もいて、暗黒理に進められていく政治社会の縮図を体感している気分になった。まあ、コマの一人の僕になす術はない。そうだけれど、問題視すれば一種の共犯になっていないともいえないわけで、難しいものだとつくづく思うのである。
 しかしながらも既に書いたように、ある程度の大きい会場での司会進行は気分がいい。何より音響の技術が良くて、風邪気味の声にもかかわらずそれなりに会場には声が届いているというのが自分自身でも良く分かる。多少滑舌が悪い状態でも音響がカバーする場合もあるのである。風呂場で歌を歌うと反響が程よく気分がいいのと似たようなものかもしれない。ま、ちょっと違うが。
 脱線ついでだけれど、こういう緊張感というものがクセになるということもあるのかもしれない。正直に言って好きなことではないし、それなりに逃げ出したくなるような緊張もないではない。出来れば避けて通りたい試練のようなものである。しかしそれなりにこなれてくると、もう少しやりようがある気もするし、うまくいくとやはり気分はいい。終わったあとの開放感も充実感とつながり爽快感さえ覚える。プロのアナウンサーになりたいとまでは思わないまでも、またやってもいいかもな、と思うのだから不思議なものである。
 しかしながらもう少し練習してもう少し余裕があればもっとうまくゆく、とは毎回思うが、毎回そのようには努力もせず本番を迎えるので、やはり幻想による勘違いの充実感ではあるようだが…。
コメント
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