カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

バカな世界ばかり続けて観ている

2008-02-02 | 映画
 バカな映画を観る楽しみというのは、第一には気分転換なのかもしれない。それと現実逃避。映画の世界に入り込むというのは、結局は現実逃避とも取れるが、バカならそれがなおさら簡単ということなのかもしれない。
 そういう具合に現実を逃避して何にも考えないで映画を楽しむということが、バカ映画の醍醐味ということはいえるのだけれど、バカなんだけれど、不思議と考えてしまうことが時にはあるようである。そのバカさ加減にこちらがひるむというか、ぶっ飛び具合に恐れをなすというか。つまり理解を超えたバカには、そういう破壊力を持っているということなのではないか。感化されると自分もバカになってしまうが、いや、たぶんそれ以前に既にバカ愛好家としてバカであるとは自覚しているが、完全に溶け込めないバカという世界に尊敬の念を感じるというか。

「アイアン・カウボーイズ/ジル・シャーマント監督」
 は、ひとことで言って、おふざけと偶像の世界である。バイオレンスを描いているわけだが、そもそもかなり不条理で、設定がぶっ飛びすぎている。しかしこれが非現実かといえば、実はアメリカの田舎というのは、僕にとってこのような偏見の世界ではないかとも思えるのである。いや、あるいはこれは僕の子供時代のような。現実は確かにこのような世界で生活していないとはいえるが、取り巻く環境の恐怖感と憧れは、このような世界が実際にあったように思えてならない。そういう悪夢のようなバット・トリップが映像化されるとこのような世界になるのではないか。妙に納得して映画を堪能し、そして僕はこの世界から抜け出して今の世界で暮らしているのではないか、と思った。

「ダイ・ハード4.0/レン・ワンズマン監督」
 この映画はかなりのバカさ加減で呆れてしまったが、ここまで来るともうどうでもいいという気もする。人間の命の尊厳なんてこれっぽっちも考えなくなるとこうなってしまうのではないか。まあ、バカなんだからそれでよくて、ドンパチと迫力を楽しめばいいのだろう。科白も泣けてくるぐらい陳腐で、なーにが英雄だ、と笑ってしまった。そうしてサイレント・ボブも出ていたのであった。今考えて見ると、続き物と考えないほうがいいのかもしれない。一作目のマクレーン刑事とは、どう考えても別人だ。既に彼は死んでしまったのであろう。まあしかし、これはこれでいい映画とはいえないまでもちゃんと面白いので、僕は批判しているのではない。物語に多くを求めず、素直にジェットコースターに乗るべきなのかもしれない、といいたいだけである。そしてそのための映画なのである。

「アドレナリン/ブライアン・テイラー、マーク・ネヴィルダイン監督」
 そしてバカであっても僕が愛するバカはこの世界かもしれない。設定も何もかも無茶苦茶で、実際の行動も何もひどいものだ。リアルというかけらも無い。しかしそれでいて観るものを捉えて離さないパワーを感じる。予算的にもいわゆる潤沢にあるわけではなさそうだし、出演者もなんとなく時化ている。いや、しかし展開するにつれ活き活きと輝きだし、非常に愛すべきものたちのように思えてくる。人物を丁寧に細やかに描いているわけでもなく、非常に荒削りにステレオタイプに描いているにもかかわらず、それでいてこれぐらいのバカであるから素直に納得がいったりするのかもしれないと思った。とにかく走り出したらとまらないしとまれない。納得がいくものかどうかはいまだに疑問だが、すばらしい映画を観たという充実感はさすがであった。

「モールラッツ/ケビン・スミス監督」
 これはオタクが観たらきっと面白いのだろう。ケビン・スミスは変人なのでこれでいいのだけれど、妙に歴史を感じさせられる可笑しさだ。人は若い頃があって、その若さというだけで気恥ずかしく馬鹿げている。僕はもう二度と若い時代に戻りたいとは思わないけれど、他人事なら覗いてみてもいいのかもしれない。あたかも他人事であるから笑えるのであって、当事者はそれなりに切実だ。しかしバカなんだからそういう切実さを受け止めるだけの裁量が無い。結局歯止めが無くなっていくというのは、正常な若さなのである。そういう気分がよく出ていて、分かる人にはわかる映画になっているところが非凡なのだろう。この映画の人物達は必ずしもモテて無い訳ではないが、自分のことを考えると、これだからモテ無かったのだなあ、と確認できた。いまさらという感じではあるが、答えなどは人に教えられて分かるだけとは限らない。今だから分かるときという区分に自分がいるのだということを教えられた。バカだけど切ないのである。

「ジョイ&サイレント・ボブ、帝国への逆襲/ケビン・スミス監督」
 は「モールラッツ」の続き、なんだろうか。まあ、当然ながら別の話で、面白くも無くも無い、という程度の温度差。こういう映画を楽しんでしまう自分自身が悲しくも無いではないが、どうしてこういうアメリカの若者のアホらしさに僕は共感を覚えるのか不思議である。こんな世界には生きていなかったのに懐かしい。個人的にはノスタルジー映画ということであるが、普通の人は時間の無駄を感じるのではないか。まあ、例えば深夜にこんな映画が流れていても、素直にグーグー寝てしまって見損なったことにこれっぽっちも後悔などしないのだろうと思う。また、そういう扱いを受けて当然の映画だとも思う。しかし僕はこれを観て、それなりの心の糧が増えたようにも思った。人間はムダを許容しその比較としていいものを感じる感性も養われるということがあるのではないか。むなしい期待ながら、そう思わなければ観た時間が自分の中で消化されない恐れがある。むろんこれはお勧め映画なのではないから、他人がどう思おうとどうでもいいが、俺もこれは観たよ、という人と好きでもないコーラでも飲みながら話してみたいとも思う。そういうオタク映画という分野が映画の中にはあるということ。そして不思議とそういう人の中から新しい映画は生まれていくのではないかとも思う。でもくれぐれもお勧めではないのであしからず。
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