カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

コロンブスの卵

2006-07-11 | 雑記

 コロンブスの卵の話は有名だが、僕が学生の頃留学生の中で卵たての得意な人がいた。卵は割らなくても、慎重に立てるとちゃんと立つ。まさにコロンブスの卵体験。何事も実際にやってみなくてはわからないものだと、その時に学んだような気がする。僕の実地主義、現場重視の思想の始まりである。僕は屁理屈家だと思われているが、屁理屈家を論破するために屁理屈をこねているに過ぎない。
 子供のころ塩を振ってその上に卵を立てるという裏技を聞いたことがあったが、何にもなくても卵は立つのである。それでは何故、コロンブスの卵はあれほど有名になったのだろう。それは卵は立たないという先入観に過ぎないのである。まあ、確かに簡単には立たないけどね。
 ちなみにその留学生はカナダ人で、日本に来て一番嫌なことはアメリカ人に間違われることだといっていた。そういう感覚は今は理解できるが、その当時はそれなりにびっくりした。見た目は同じだが(というか区別はつかないが)アメリカ人とカナダ人はぜんぜん違う。僕は西洋人からチャイニーズといわれても、まあそうだろうな、としか思わないが、外国人はガイジンといわれるだけでも激しく嫌悪をあらわにする。ましてやアメリカ人なんて、という人は多いのではないか。ま、僕は嫌米で言っているわけではない。好きではない部分があるけれど、全部嫌いじゃない。単に多くの人は、出身の国を自然に誇りにしているんだというお話です。
 そういえばニール・ヤングはいつまでもお元気でなによりだ。相変わらずドラムの音はペコペコだけど、ギターはうねったりしている。
 さて、もうひとつ、僕のコロンブスの卵的な話。
 中学生の頃だったと思うが、仲間内で酒盛りになった。それぞれ酒を持ち寄っていたのだが、一人がワインを持ってきていた。ところが誰もオープナーを持っていない。王冠なら開けようがあるけれど、コルクをオープナーを使わず引っこ抜くにはどうしたらいいのだろう。試行錯誤したが、コルクの上の部分が欠けたりしてうまくいかない。
 そうして諦めかけたが、一人が既にビールで酔っ払ってコルクを指でググッとビンの中に押し込んでしまった。あっと思ったけれど、とりあえず飲めるようになった。コルクは元には戻らないけれど、全部飲んでしまえば問題ない。そう思うとたまらなく愉快になった。引いても駄目なら押してみる。というか、コルクを押し込んで世界が開けた。
 人間関係はコルクのように簡単に打開できないこともあるけれど、ある意味での諦めの悪さも必要じゃないかと思う。それは、同じ理屈を説得することではないのではないか。あくまでヒントだが、思わぬ愉快な打開策を考える。そういうことが道を開くのではないかと思う。
 何を言いたいかって、それは秘密です。
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