カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夏のやせ我慢

2006-07-14 | 雑記

 暑い暑いと嘆いてみたところで更に暑くなるような気がする。しかし暑いのだからしょうがないじゃないか。人間の体の毛が薄くなったのは、日中に活動するようになったからだといわれている。多くの生物が夜行性なのは、恐らく暑さ対策である。暑い地球で昼に活動するひねくれものの人間は、環境破壊をする宿命を背負っているのかもしれない。
 暑い日中に冷房がないのはつらい。しかしそうであっても冷房嫌いなので厄介だ。確かに短時間であれば冷房の効いた部屋はオアシスには違いないのだけれど、長時間冷気に当たるのがいけないらしい。不合理なのは宿命を受け入れられない精神性だろうか。
 僕は子供のころからいろいろと団体スポーツをしてきたが、夏は遠征先で必ず体調不良を起こした。地元では強くても上に行くと通用しないヤツだと監督は考えていたらしいが、それは強弁すると誤解であるといいたい。その頃は今より少しばかり口下手であったので弁明できなかったが、思い出すと口惜しい。
 理由ははっきりしていて集団部屋でのクーラーである。子供というのは文明の利器にすぐに全身で頼ってしまい、一晩中でもクーラーのスイッチを切らない。中には16度の設定で布団を頭からかぶって寝ていたりする。幼さとバカはある意味では同義である。僕がいくら懇願しても、暑いという理由はいかんとも事実なので動かない。少数者が我慢を強いられるのが民主主義の正義である。仕方がないので、同じように布団をかぶって寝るより仕方がない。バカの所為で自分もバカの振りをする。そういうバカな行為はバカな結果しか招かない。
 しかしながら、冬の寒さで寝ていてもそうはならないのに、クーラーの冷気であると体がつらくなるのは何故なのだろうか。扇風機に当たったまま寝てしまうと、死んでしまうこともあると母は言っていたが、確かに昔の映画の中で扇風機の風に当たって病気になって死ぬ場面を見たような記憶がある。あれは実話を元に作成された話なのであろうか。最近は扇風機で死んだというニュースは聞かない。昔の人はある意味では現代人より体が弱かったらしい。
 最近は自然の風のように吹く冷房機があるらしいが、単調な風が体にこたえるのだろうか。夏であろうと外気の風の涼しい夜もあるけれど、タオルケットで凍える思いをしても、体の重たくなるような朝を迎えることはないようだ。
 話としては関係ないようだけれど、僕は電気かみそりにも激しく負ける。しかしある人が、負けても負けても我慢して使い続けると負けなくなるものだと教えてくれた。それならばと二日ぐらい我慢してためしてみたが、やはり負けるのがつらくて諦めてしまった。
 実は冷房の部屋であっても、慣れるのではないかと思って続けてつけっぱなしで数日試してみたこともある。結論から言うとその数日はずっと具合が悪かった。もっと試すとあるいは慣れるのかもしれないとは思ったが、どれぐらいで慣れるのか不明なので諦めてしまった。
 冷房が駄目だけれど夏は暑い日が続く。しかしながら暑い方は、なんとなく慣れる気がする。都会では熱帯夜が何日続いたとかニュースになっているけれど、田舎暮らしの家ではやはり朝の風は涼しいようだ。寝る前に暑くてたまらんなあと思っても、気にならないぐらい焼酎を飲んで意識を失いさえすれば、しめたものである。そうやって少しばかり我慢しているうちに、盆も過ぎてゆくだろう。それになにより、冷房に慣れるより暑さになれたほうが体にはいいのではないか。つらいことはつらいのだけれど、そういうわけで数日はやせ我慢するのであろう。
コメント
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