つれあいが珍しく夜の集まりに出ることになって留守番をする。場所は岩ちゃんのお兄さんの店で、距離的に遠くもなく近くもない。つまりタクシーを使うのに躊躇する距離なので、送り迎えをすることになった。なに、普段僕がいつもしてもらっていることなのだが、むしろ心配されているのは僕が酒を飲まずに待つということらしい。
そういうわけで、留守番として家で待つ人になる。そうやって待っていてふと考える。逆に迎えに行くなんていうのは、信用していないようで小心者と思われるのではないか。確かに一般的に同窓会などの時に迎えに来る旦那さんは、ほとんど浮気性の人らしい。自分がそういう場面にやましいことをする覚えがあるので落ち着かない。どうしても迎えに行ってしまう。話としてはなるほどと思うが、そうなのかというデータを誰が取ったかは不明で信憑性はない。人間の思考として、面白いということだろう。迎えに来るような善良そうな夫が、実は…、ということなのではないか。
しかしながらそんなことを考えていると、僕自身の今の立場はまさしく誤解の対象となりはしないか。何しろ普段の生活なら間違いなく家にいるなら飲んでいる。つれあいを店まで送りはしたが、我慢せず飲んでもいいと、改めていわれている。無理を通して意地でも迎えにいこうという心情のウラには、やはり隠された秘密があるのではないか。こうして書いていることも疑われかねないのだが、こういう考えは疑いだすとキリがない。李下に冠を正さずというが、福井総裁と僕の立場は違う。だいたいそうまでして疑われることをあえてするなんていうリスクを犯すほうが、僕としては冒険なのではないか。
酒を飲めないことは苦痛ではあるけれど、飲み始める時間が早ければいいというものではない。夜には会議が多くて、ただでさえ早い時間から酒を飲む習慣があまりない。青年会議所の会議が23時ぐらいに終わると、逆に今日は早くのめるなあ、などと話しているぐらいで、世間一般の人と比べると、酒飲みとしては非常に禁欲的に鍛えられている。そういうわけで、待っていることは思ったより苦痛とは実際に感じていない。子供も静かに宿題したりしているし(いつもはもっとうるさい)、読みさしの本も面白い。テレビは何故かビートルズで、これもなかなか感慨深い。
そういうわけで苦痛ではないのだが、無理に酒を飲まないという状況はやはり珍しいことではある。本来的に気兼ねなく飲んで待っていた方がいいのかもしれないとも思う。集まりの内容から、二次会へ移行する可能性は低いにしろ、待たせて飲んでいるという気分で、安心して飲むことができなくなるのではないか。せっかくの機会だから、楽しんでもらった方がいい。そういう気分に水を差すことにならないか。やっぱり飲んだから、帰りはタクシーにしてよ、なんてメールしたらかえって安心するんじゃないか。
しかしながら一方で、やっぱり挫折しやがってと思うんじゃないか。口では平気といいながら、ちっとも平気じゃない。めったにないことでありながら、少しばかりのことに堪えることができない意気地なしだと思われないか。せっかく今は平気なのに、人のことを慮って酒を飲んだなんていっても、単なる言い訳にしか聞こえないのではないか。そう思われてまで気を使うことは、かえってもったいなくはないか。それに、やはり約束は約束である。約束は破るより守ったほうがいい。それはわかっているが、結局家族には都合で事情を了解してもらう日常(つまり約束を破っている)を送っているではないか。ここという時こそ、守れる約束を果たすべきではないか。
われながら変な葛藤をしているもんだなあと思うが、そういうわけで酒を飲まずに待っていて、迎えに行くことにしたのである。こういうことを考えるということは、やはり酒を飲みたかったのかなあ、とも思う。
帰ってきて、さっそくググッとビールをあおって、すかさず焼酎をすすった。急激に酔っ払って心地よかった。辛抱は酒の味をよくする。少なくとも、多少のやせ我慢は必要なのである。