カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

悪い男/キム・ギドク監督

2006-07-18 | 映画
許容する女性に助けられる男
 
 待ち合わせている女性に一方的にひと目惚れして拒否され、諦めきれずに罠にはめて売春婦にし、真実の愛を勝ち取る話である。ちょっと省略しすぎだが、そういう話だ。
 なぜそうしなければならなかったかは、彼がヤクザという暴力の世界に生きているためなのかもしれない。ある解説にもあったが、映画の中では直接的にこのふたりは性的に結ばれる場面がない。男は何らかの理由で不能なのではないか、という憶測であった。なるほどそうであると、なんとなく話が理解できる気もしないではない。彼女を他人に抱かせることによって、精神的に結ばれているということなのか。マジックミラーはそういうことなのか。最後のトラックは生活のためだけでなく、そういう意味もあるのだろうか。
 しかしながら、自分自身が共感できるかというと、やはりそれは難しい。好きだから拉致されて家に帰ることはできない。その状況に泣き悔やんで暮らしたが、いつまでもそうやっていても仕方がない。本当に仕事に慣れたとはいえないが、嫌々続けられるものでもない。開き直って生活するうちに、諦めて好きになることを選択した女を理解するだろうか。いや、厳密にいうと理解するが、結局慈悲的に同情してしまうだけなのである。
 それは真実としてありうる話だが、そういう選択は普遍的な真実ではないと思ってしまう。だからこそ、この話はファンタジーなのだ。
 しかしながら暴力的に好きな女性を奪ってしまいたいという欲望が本来的にないとは、残念ながら男である僕には言えない。僕にはそういう欲望があったのだろうと思う。しかし本当にそういう行動をとるのかというと、よくわからない。つれあいだって諦めて付き合ってくれたようなものだし、拉致してどうこうしたわけではないが、似たようなことだったとも、いえなくもないのかもしれない。こんな映画は到底理解できない気がしていたが、否定したいという自分への反応なのかもしれない。信じたくはないが、その可能性はゼロではない。それを全面的に認められるほど、自分に謙虚さはないが、恐怖心はある。そういう男のことを女は理解できるだろうか。
 不快に思う人も多いと思うけれど、ファンタジーとしてよくできているとも思う。映像の美しさが評価されていることは納得できるが、ともかく、これだけへんてこりんな映画の評価が高いのも、人間の感情なんて不可解の極みだからであろう。

 横田めぐみさんが帰って来られないのは、国家がそれを許さないからだが、もし彼女が北朝鮮側の人間になっているとしても、その境遇を誰も批判できないのではないか。恐らくそういう立場で、彼女は生き抜いていく決意をしなければならなかったのだ。北は死んだといっているが、生きていれば、恐らくそういう立場にいるのではないかと気がかりだ。しかしながら、それでも幸せであるといいとも思う。欺瞞でも幸せになる方法があるとしたら、結局は許容する道しかないのであろう。
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ドッグヴィル/ラース・フォン・トリアー監督

2006-07-18 | 映画
ひとことで言うと変な映画だ
 
 面白い映画だけれど、面白いということに躊躇してしまう。悲惨な結末にカタルシスを覚えるほど混乱して観た。僕は悪魔に精神を売り渡してしまった。
 演出や設定が独特だということが、まず話題になっていた。この演出が成功しているというのは、あまりにどぎついからだと思う。この演出でなければ、最後まで観ることを断念する人も多かったのではないか。それでも観やすい映画なのではないが、そういう意味では確かに脱帽だ。演技力がさらけ出されるので、肉薄した精神がさらに迫ってくるようだ。心揺り動かされてつらくなる。それでも、目が離せない。自分自身が不安になり、人間不信になってしまう。
 正直に言うと、これは人間の本性だとは僕は信じていない。こういう設定で、こういう人間性が現れるというフィクションだと思う。もちろん真偽は分からない。可能性としてはありえなくもないということだろうけれど、その前に彼女は立場を告白するのではないか。隠し通す理由が、やはり希薄に思われる。
 確かに人類はアウシュビッツも日本軍も経験している。人間の暴力性はこういう傾向を持っているのかもしれない。しかし、隔離された村環境が、アウシュビッツになるかというと、かなり怪しく思う。もっと具体的に暴力がはびこるのではないか。そちらの方が先ではないか。
 しかし、映画もその映画の真実がある。この精神性は、やはり真実なのであろう。こういう人間性があるのではないかという後ろめたさも、もちろん真実には違いない。キリスト教では自慰行為に罪悪感があるという。空想してしまっても、罪悪感があるらしい。しかし、現実と空想は違う。空想を現実化することは、意外と簡単なことではない。そこの壁を越えることがこの映画にはできている。彼らの暴力に嫌悪感を覚えながら、不思議なことに共感も覚えるのではないか。そういう幻想を抱かせる女優がニコール・キッドマンというところも憎らしいと思う。

 と、実はここまで書いて間を空けて少し考えていたのだが、どうも自分が間違っているような気がしてきた。人間のいじめの心理というのは、リスクとも関係があるのではないか。自分がしてもらっているより多くのしてやっているという心理はどうであろう。ねたみはどうであろう。彼らは加害者でありながら、被害妄想がある。実際最後の反則どんでん返しがあるが、見るものにとってのカタルシスであるけれど、これが問題の解決なのではない。自分の力で問題解決ができない人間の弱さの為に、信仰が生まれていくのだろうか。信仰といわず倫理といってもいいかもしれないが、自分の欲望を抑える何か超越した良識を共有してしまえないとしたら、集団というものは破綻に向かって進んでいくものなのかもしれない。
 あまりに悪魔的な映画で、気分悪く楽しむことができた。気分は悪いが、お勧めなのである。ぜひ、この罪悪感を味わって欲しい。共感できないこともあるかもしれないが、この話を創造した人も、意地は悪いが人の子である。悪魔は人の精神に宿っているのである。
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動揺とファン心理

2006-07-18 | ことば

 週刊文春の楽しみである高島俊男のエッセイが終わるのだろうか。最近の聖書の文章批判なんかも関係あるのだろうか。体の弱そうな人なので、止めたくなったのか。最近の椎名誠の文章も歯切れが悪いし、文春の楽しみが消えるのは悲しい。相変わらず高い水準を維持しているのは李啓充のコラムぐらいだもんな。文春、僕は悲しい。竹内久美子とかはどうでもいいから、高島を引き止めてくれ。
 ことばのエッセイは以前から結構読んでいて、最初は丸谷才一だった。なんで知ったのかは忘れたが、そこで改めて大野晋、井上ひさし(週刊朝日だったね、あの頃は)なんかを読んでいた。福田恆存は最近知った(無知でゴメン)ばかりだし、白川静は読んでいない。千野栄一とか江川卓はそれなりに面白く読んだ覚えがある。が、これは言語学だ。同じく西江雅之は面白いが、言葉自体を語って面白かったわけではない。柳瀬尚紀も面白いが、少し飛んでいる。たぶん次元が違う。新明解はいまだに最初に引いてしまう。
 結局丸谷が発掘したかたちで高島は出てきた。そしてその批判の鋭さと世間知らずにアカデミズムはどうかしらないけれど、マスコミ系文学界は驚いたようだった。今は斉藤美奈子とか小谷野敦が面白いけれど、文芸評論ではなく、ことばそのものを扱うエッセイストが毀誉褒貶を売り物に爽快にいろんな人を斬るのが楽しかった。この人は「諸君!」の冒頭エッセイ(紳士と淑女というのかな)も好きだったらしいから、ある意味で正直だったのだろう。専門は中国文学みたいだが、思想的には右のようでバランスがわかりにくい。交友関係は知らないが、アカデミック方面関係は左の先生との付き合いで文壇に出てきたのだからどうなのだろう。
 まあ、そんなことはどうでもよい。とにかく面白いのだから仕方がない。
 どうして結婚しないのかも謎だが、私生活が特に秘密という人でもなさそうだ。もう少し若い小泉首相だって再婚しないのだから、それはそれでいいのだろう。ブレイクした人の割には対談などが少なかったのは、人付き合いが下手なのかもしれない。一度鼎談か何かを読んだことがあるが、かなり浮いていた。しかしながら人が遊びにきたことなど嬉しそうに紹介していたこともあるので、あんがい寂しがりやであるようにもみてとれる。雑誌の連載を止めてしまったら、編集者との付き合いもなくなるだろうから、なんとなく哀れである。いや、ひとつばかり仕事が減っても、かえってホッとするものなのかもしれない。少なくとも老後の心配は必要無いぐらいは既に稼いでいるはずだから、あとはいらぬお世話だが友人次第だろう。
 王監督の手術はうまくいったそうだが、やはり復帰しなくてはならないのだろうか。いつまでも期待されるというのはどういう心境だろうか。一方ではそういうことも思うのだから、ファンというものは勝手なものだ。少しぐらい休んだら、又気分が変わるものかもしれない。待ったり諦めたりすることも必要なことのようだ。
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