許容する女性に助けられる男
待ち合わせている女性に一方的にひと目惚れして拒否され、諦めきれずに罠にはめて売春婦にし、真実の愛を勝ち取る話である。ちょっと省略しすぎだが、そういう話だ。
なぜそうしなければならなかったかは、彼がヤクザという暴力の世界に生きているためなのかもしれない。ある解説にもあったが、映画の中では直接的にこのふたりは性的に結ばれる場面がない。男は何らかの理由で不能なのではないか、という憶測であった。なるほどそうであると、なんとなく話が理解できる気もしないではない。彼女を他人に抱かせることによって、精神的に結ばれているということなのか。マジックミラーはそういうことなのか。最後のトラックは生活のためだけでなく、そういう意味もあるのだろうか。
しかしながら、自分自身が共感できるかというと、やはりそれは難しい。好きだから拉致されて家に帰ることはできない。その状況に泣き悔やんで暮らしたが、いつまでもそうやっていても仕方がない。本当に仕事に慣れたとはいえないが、嫌々続けられるものでもない。開き直って生活するうちに、諦めて好きになることを選択した女を理解するだろうか。いや、厳密にいうと理解するが、結局慈悲的に同情してしまうだけなのである。
それは真実としてありうる話だが、そういう選択は普遍的な真実ではないと思ってしまう。だからこそ、この話はファンタジーなのだ。
しかしながら暴力的に好きな女性を奪ってしまいたいという欲望が本来的にないとは、残念ながら男である僕には言えない。僕にはそういう欲望があったのだろうと思う。しかし本当にそういう行動をとるのかというと、よくわからない。つれあいだって諦めて付き合ってくれたようなものだし、拉致してどうこうしたわけではないが、似たようなことだったとも、いえなくもないのかもしれない。こんな映画は到底理解できない気がしていたが、否定したいという自分への反応なのかもしれない。信じたくはないが、その可能性はゼロではない。それを全面的に認められるほど、自分に謙虚さはないが、恐怖心はある。そういう男のことを女は理解できるだろうか。
不快に思う人も多いと思うけれど、ファンタジーとしてよくできているとも思う。映像の美しさが評価されていることは納得できるが、ともかく、これだけへんてこりんな映画の評価が高いのも、人間の感情なんて不可解の極みだからであろう。
横田めぐみさんが帰って来られないのは、国家がそれを許さないからだが、もし彼女が北朝鮮側の人間になっているとしても、その境遇を誰も批判できないのではないか。恐らくそういう立場で、彼女は生き抜いていく決意をしなければならなかったのだ。北は死んだといっているが、生きていれば、恐らくそういう立場にいるのではないかと気がかりだ。しかしながら、それでも幸せであるといいとも思う。欺瞞でも幸せになる方法があるとしたら、結局は許容する道しかないのであろう。
待ち合わせている女性に一方的にひと目惚れして拒否され、諦めきれずに罠にはめて売春婦にし、真実の愛を勝ち取る話である。ちょっと省略しすぎだが、そういう話だ。
なぜそうしなければならなかったかは、彼がヤクザという暴力の世界に生きているためなのかもしれない。ある解説にもあったが、映画の中では直接的にこのふたりは性的に結ばれる場面がない。男は何らかの理由で不能なのではないか、という憶測であった。なるほどそうであると、なんとなく話が理解できる気もしないではない。彼女を他人に抱かせることによって、精神的に結ばれているということなのか。マジックミラーはそういうことなのか。最後のトラックは生活のためだけでなく、そういう意味もあるのだろうか。
しかしながら、自分自身が共感できるかというと、やはりそれは難しい。好きだから拉致されて家に帰ることはできない。その状況に泣き悔やんで暮らしたが、いつまでもそうやっていても仕方がない。本当に仕事に慣れたとはいえないが、嫌々続けられるものでもない。開き直って生活するうちに、諦めて好きになることを選択した女を理解するだろうか。いや、厳密にいうと理解するが、結局慈悲的に同情してしまうだけなのである。
それは真実としてありうる話だが、そういう選択は普遍的な真実ではないと思ってしまう。だからこそ、この話はファンタジーなのだ。
しかしながら暴力的に好きな女性を奪ってしまいたいという欲望が本来的にないとは、残念ながら男である僕には言えない。僕にはそういう欲望があったのだろうと思う。しかし本当にそういう行動をとるのかというと、よくわからない。つれあいだって諦めて付き合ってくれたようなものだし、拉致してどうこうしたわけではないが、似たようなことだったとも、いえなくもないのかもしれない。こんな映画は到底理解できない気がしていたが、否定したいという自分への反応なのかもしれない。信じたくはないが、その可能性はゼロではない。それを全面的に認められるほど、自分に謙虚さはないが、恐怖心はある。そういう男のことを女は理解できるだろうか。
不快に思う人も多いと思うけれど、ファンタジーとしてよくできているとも思う。映像の美しさが評価されていることは納得できるが、ともかく、これだけへんてこりんな映画の評価が高いのも、人間の感情なんて不可解の極みだからであろう。
横田めぐみさんが帰って来られないのは、国家がそれを許さないからだが、もし彼女が北朝鮮側の人間になっているとしても、その境遇を誰も批判できないのではないか。恐らくそういう立場で、彼女は生き抜いていく決意をしなければならなかったのだ。北は死んだといっているが、生きていれば、恐らくそういう立場にいるのではないかと気がかりだ。しかしながら、それでも幸せであるといいとも思う。欺瞞でも幸せになる方法があるとしたら、結局は許容する道しかないのであろう。