Méditation Op.posth.

2019-06-15 | 【断想】音楽
 デュリュフレのオルガン曲「メディテーション 」を聞く。
 奏者は、Adriano Falcioni
 BRILLIANI盤
 礼拝の前奏や間奏に使えるのかな、4分にもならぬ曲。
 続けて、Hommage à Jean Gallon を聞く。
 そして、Suite Op.5(オルガン組曲)
 Prélude,Sicienne,Toccataの3つである。
 前奏曲、なんだかお化けが出て来そうなおもしろい曲だ。


安らかにおやすみ

2019-06-15 | 【断想】音楽
 デュリュフレの教会音楽「レクイエム op.9」を聞く。
 Benjamin Saunders;organ
 The Choir of Leeds Cathedral
 Skipton Building Society Camerata
 Thomas Leech
 BRILLIANI盤
 デュリュフレの「レクイエム 」、結構多くの盤があるようだ。
 聞いてみたいルグランのはまだ。
 この盤、オッフェルトリウム、いささかはでなところがある。
 この前、ちらっと聞いたときにも感じた。
 Pie Jesuに、メゾソプラノのモノとチェロが入る。
 2012年の録音。
  Leeds Cathedral(リード・カテドラル)ってどこにあるのかな。
 教会の聖歌隊に日本にない厚みを感じる。

ジャン・アランを思って

2019-06-13 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレのオルガン曲「アランの名による前奏曲とフーガ」op.7。
 戦死した友人のジャン・アランの思い出のために書かれたもの。
 ジャン・アランは、オルガニストで作曲家、マリーー=クレール・アランの兄である。
 奏者は、Adriano Falcioni.
 BRILLIANT盤。

禿げ頭のパウロ

2019-06-13 | 読書
 「ギリシア・ローマ哲学者物語」(山本光雄著・講談社学術文庫)をところどころ読んでいる。
 「前編 哲学者の笑い」として、15話、「後編 哲学者の憂い」として14話が収められている。哲学者たちのエピソードが、興味がそそられるかたちで語られる。
 昨日は、「後編」の「第8夜 X氏」を読んだ。
 「X氏」とは、いわゆる哲学者ではなく、キリスト教の伝道者であるパウロであった。
 アテナイのアレイオス・パゴスでのパウロの演説が載っていた。
 パウロの外貌については、「丈は低く、身は痩せ、頭は禿げ上がり、両足はやや曲がり、怒り肩で、出目、鷲鼻の顔は陽焼けしている」とあった。
 そして、パウロを取り上げた理由として、「イスラエルの片田舎に発祥したキリスト教がギリシア語を宣伝の武器に用い、ギリシア哲学を受け入れることによって世界宗教となり得た所以を理解してもらうためだったのだ」と説明されている。
 多神教のうちにあったギリシア文化における利用価値のある部分を切り取りつつ、一神教たるキリスト教の教えを上書きしていくような手法がとられたとあった。そのようなやり方であったからこそキリスト教が広まったと。
 新約聖書には、パウロによる手紙が幾つも収められるいる。その手紙は伝道を目的としており、キリスト教の何たるかをパウロの理解で示している。パウロの思想がそこにある。
 もってまわったような表現が多く、分かりにくい面がある。
 いわゆる進歩的文化人と呼ばれる人たちの表現方法に共通するものを感じる。そう言うのをありがたがる人は案外多い。

オリーブのタリス

2019-06-11 | 【断想】ETC
 ここのところ、古代ギリシアの哲人のことが書かれたものをぽつぽつ読んでいる。
 その思想や生ある時のエピソードが書かれたもの。
 万物流転のヘラクレイトス、勇敢な兵士であったソクラテス、犬儒学派の祖であるアンチステネス、樽のディオゲネス、女哲人のヒッパルキア、アタラクシアのエピクロス・・・・・と。
 そして、今日はオリーブオイル搾り器で大儲けしたタリス。
 このエピソード、確か自分のエッセイで使ったことある。
 アリストテレスの「形而上学」で哲学史記述のトップを飾るのがタリスだそうだ。

ROUND MIDNIHT

2019-06-10 | 【断想】音楽
 この前のミシェル・ルグラン(編曲・指揮)のジャズ。
 「michel legrand meets miles davis/phlips/1958」の一部をを改めて聞く。
 セロニアス・モンクの作品である「ラウンド・ミッドナイト」を。
 パーソネルは以下。
 ハービー・マン(フルート)
 ベティ・グラマン(ハープ)
 バリー・ガルブレイス(ギター)
 マイルス・ディビス(トランペット)
 ジョン・コルトレーン(テナーサックス)
 フィル・ウッズ(アルトサックス)
 ジェローム・リチャードソン(バスーン、バスクラリネット)
 エディ・コスタ(ヴィブラホーン)
 ビル・エバァンス(ピアノ)
 ポール・チェンバース(ベース)
 ケニー・デニス(ドラム)
 1958年、ニューヨークでの録音。
 「ラウンド・ミッドナイト」のマイルス・ディビスのトランペットは沁みる。
 だけど、やっぱりマイルスは、「ROUND ABOUT MIDNIHT(コロンビア盤)」の方がいい。
 ルグランのは美しいが、そのきれいさがさみしさを消している。
 孤愁か、なめらかな美しさか、どっちもいいのだけど。

Legrand Jazz

2019-06-07 | 【断想】音楽
 クラシックの名曲ガイドの本に、モーリス・デュリュフレの「レクイエム」をミシェル・ルグランが指揮したものがあると紹介されていた。
 ルグランと言えば、ポップスやジャズの分野で人気が高いが、このクラッシックの「レクイエム」は極めて素晴らしいとあった。
 もしかして入手できないだろうかと、事務所近くのCDを売っているショップに寄ってみた。予想通り、見つけることはできなかった。
 仕方ないなと思いつつジャズCDのところをみたら、ルグランのものがあった。
 michel legrand meets miles davis/phlips/1958
 錚々たる顔ぶれによるビッグ・バンドである。
 「ジャンゴ」や「ラウンド・ミッドナイト」等が収まっている。
 そう言えば、ルグランのジャズを聴くなんてことはなかったから、この際聞いてみようかと買った。
 事務所にもどり、パソコンで聞いた。
 通常のパソコンゆえ、音は悪い。でも、なかなか魅力ある演奏と分かった。
 改めて、ちゃんとした再生装置で聞いてみようと思った。
 「レクイエム」の方は、そのうちなんらかの方法で入手したいと思う。

ディオゲネースを

2019-06-07 | 【断想】ETC
 シーミアースの「ディオゲネースを」と言う詩(沓掛良彦訳)。
  渡し守よ、このわし
  犬のディオゲネースを受け入れてくれい。
  人生のありとあらゆる虚飾をば
  容赦なく剥ぎ取つたこのわしをな。
 渡し守は、この世とあの世の境目にて任をはたす方。
 人の暮らしは、「虚飾」で成り立っているとも思うが。
 「虚飾」があっての人間とも言えると思うけどな。

犬のごとく暮らす

2019-06-07 | 【断想】ETC
 紀元前ヘレニズム期、古代ギリシアの哲学の一派に犬儒学派(キュニコス派)がある。
 この「キュニコス」は、ギリシア語で、「犬のような」の意味をもつとのこと。
 また、「シニカル」は、「キュニコス」に由来している。
 キュニコス派の哲人たちは、物事に動じない精神をもつことを目指し、そのために、肉体的、精神的な鍛錬をしたという。世俗の欲望から解き放たれようとし、自足の暮らしの実践を旨とした。
 その実際のさまは、乞食のような貧乏暮らし、まるで犬のような生活となる。
 最近で言えば、みかけは、路上生活者と言ったところか。
 それで、次のような詩でからかわれたりもする。
 いにしえのルーキーリオスなる方の「犬儒派の哲学者に」と言う詩(沓掛良彦訳)。
 冒頭のメネストラトスがどんな人だったかは、知らないのだが。
  メネストラトスさんよ、
  あんたが犬儒派で裸足で
  おまけに寒さにふるえてるつてることは
  ちつとも否定はしないがね、
  でも、あんたがパンだのそのかけらなどをくすねたら、
  この杖でどやしつけますぜ。してあんたは、
  ただの犬つてことになるんだよ。
 この派は、ソクラテスの弟子であったアンティスネスを祖とし、シノペのディオゲネス、テーバイのクラテス、ポリュステネスのビオン、メニッポス、女性のヒッパルキアらがいる。

ジオゲネスの頃

2019-06-07 | 【断想】ETC
 朝、窓をあけると
 ほととぎすの声をと唐鼠黐の匂い
 ほととぎすの声は今年はじめてである。
 6月7日、そんな時節なのだ。
 ここのところ
 古代ギリシャの哲人に関するものを
 ちらちら読んでいる
 いずれもイエス・キリストよりの前の人
 おもしろい人に
 犬儒学派のディオゲネス
 そう言えば
 中原中也の詩集「在りし日の歌」
 そのなかの「秋日狂乱」に
  ああ、誰か来て僕を助けて呉れ
  ジオゲネスの頃には小鳥くらゐ啼いたらうが
  けふびは雀も啼いてはをらぬ
 少し、ディオゲネス関連をとりあげようか

“時の鐘”から

2019-06-05 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレのオルガン曲。
 「ソアソンのカテドラルの『時の鐘』の主題によるフーガ」
 ソアソンは地名、フランス北部の古都。
 そこにある大聖堂の「時の鐘」のメロディの音から組成された曲だそうだ。
 短いけど、なんとも壮麗、荘厳な感じ。
 奏者は、トッド・ウィルソン。
 DELOS盤。

トウネズミモチの臭い

2019-06-04 | 【樹木】ETC
 新宿で地下鉄・丸ノ内線に乗り、四谷に着いた。
 地下鉄と言え、四谷駅は地上にある。
 ドアが開くと、外気が入り、臭いがする。
 唐鼠黐の花の臭いである。
 上智大学のグラウンドに大きな唐鼠黐の木がある。
 そこからである。
 わたしは、そのグラウンドとは反対を向いていた。
 振り返りはしなかった。
 でも、いま花をつけているさまがわかった。
 そのいささか生臭さがある臭いを嫌う人もいるが、わたしは、樹木の生命を感じて、嫌いではない。


“来たれ聖霊よ”

2019-06-01 | 【断想】音楽
 モーリス・デュリュフレのオルガン曲を聞いてみたいなと思っていた。
 すっかり忘れていたが、以前買っていたようだ。
 CDが家にあった。
 6曲収まっていたが、とりあえず1曲。
 「プレリュードとアダージョとヴェニ・クレアトールによるコラール・ヴァリエーション」
 解説パンフに、「ヴェニ・クレアトール」は「来れ創り主なる聖霊」と訳されていた。
 1929年の作品である。
 タイトル通り、3つの部分でできている。
 オルガン奏者は、トッド・ウィルソン。DELOS盤。
 「前奏曲」は、なんだかペンテコステと言うより、夜空に星がきらめくクリスマスと言った感じがした。
 2曲目の「アダージョ」は、聖霊の降臨を思い浮かばせるようなところもあったが、1曲目と同じような感じもあった。
 3曲目の「コラール変奏曲」は、落ち着いた気持ちで礼拝に臨んでいるかのようなところがあった。
 いずれにしても、全体を通して、穏やかな雰囲気がある曲だ。
 これも、気に入りました。