●蛇の集まる木
蛇の古名に「ハハ」がある。
「ハハノキ」とは何か。朴の木のことである。
「朴の木を植えると、蛇が集まる」という伝承があるそうな。
民俗学者の吉野裕子の「山の神」に、「朴の木とは元来『ハハノキ』で、ハハキがホウキとなったのと同じ転訛である。その幹が直立し、蛇の脱皮のように大きな葉を脱落させるので、蛇に見立てられたと思われる」とある。
「山の神」で男根状と表現される蛇の静態と落葉からの見立てである。
冬の一日、朴の木を眺め、そのそばを通る。
ずんぐり伸びた主幹をみて、あれを男根状と言うのかなあと思う。
朴の木の周りには、枯れて落ちた葉が散乱している。朴の葉は大きくて厚い。風にも飛ばされにくいのだろう。陽に晒され白っぽくなつた葉が散らばったさまを見て、なるほど、蛇の脱皮との連想はありうるなと思った。
●朴の花を見るには
朴は、モクレン科モクレン属、英名でマグノリア属の一種である。この属の樹木は、おおぶりの花をつけ、かぐわしい香を放つ。コブシ(辛夷)、モクレン(木蓮)、タイサンボク(泰山木)などが同属である。
花の大きさでは、ホオノキ以上と言えるタイサンボクは、北アメリカの原産で、一三○年位前に日本に渡来したと言われる。
一方、朴の木は、わが国の特産とされ、より愛着がわく。「朴」という字の響きや意にも親しみを抱いてしまう。
その花は、どちらかというと木の上に咲く。人知れず香りを漂わすのである。それで、その見事な大輪の白い花をよく見るには、木を見下ろす位置に自分を置くのがいい。ほどよい谷間に生えた朴を眺めるとよい。わたしの住まいのちかくに、そんな場所があって、季節になると眺めに行ったりする。ただ、蛇が出そうな谷のところ立っている。
実際、その近くで日向ぼっこをしている蛇を踏んづけそうになって、ドキリとしたことがある。
●ふくよかな朴の葉
白洲正子が、朴の木のことを次のように語っている。
「今、私は家の雑木林から朴の葉を一枚とってきて、机の上において眺めているが、見れば見るほど豊かな形と。美しい色をしている」
そのふくよかで大きな緑の葉は、必ず、あなたの心まで豊かにしてくれる。
三○センチくらいにもなる朴の葉は、日本の樹木のなかで、一番大きいと言われる。橡の木の葉も大きく、形も似ているが、朴に較べると薄っぺらである。
朴の葉は、食べ物を包んだり載せたりするのに使われる。刻んだ山菜と味噌を載せて、炭火で焼いた飛騨の「朴葉焼き」は有名である。餅をくるんで焼けば、「朴葉餅」である。
●朴歯の下駄がいいな
朴の木を材としたもので、わたしにとって一番身近かであったのは、「厚歯(あつば)」だった。これは、一般的な呼び方とは異なるかも知れない。朴の木を歯とした下駄である。中学生時代によく履いた。
その材が、やわらかく均質で、地と接する下駄の歯に向いているのである。丈のあるそれをつけて履くと、背が伸びた感じがした。
歯がすり減ると、下駄屋に行って、新しいものに付け替えてもらった。
今や、朴歯の下駄は、民芸品に近いような状態にある。ある時、それが売られているのを見かけて、買おうかと思ったが、やけに高価であった。履くにも、コンクリートでかためられた道ではなと、自分を説き伏せ、散財を抑えた。但し、なんとも未練は残った。
下駄屋は、街角からほとんど姿を消してしまった。思えば、わたしたち日本人の文化は、木と切っても切れない関係にあった。その文化の復興を。
蛇の古名に「ハハ」がある。
「ハハノキ」とは何か。朴の木のことである。
「朴の木を植えると、蛇が集まる」という伝承があるそうな。
民俗学者の吉野裕子の「山の神」に、「朴の木とは元来『ハハノキ』で、ハハキがホウキとなったのと同じ転訛である。その幹が直立し、蛇の脱皮のように大きな葉を脱落させるので、蛇に見立てられたと思われる」とある。
「山の神」で男根状と表現される蛇の静態と落葉からの見立てである。
冬の一日、朴の木を眺め、そのそばを通る。
ずんぐり伸びた主幹をみて、あれを男根状と言うのかなあと思う。
朴の木の周りには、枯れて落ちた葉が散乱している。朴の葉は大きくて厚い。風にも飛ばされにくいのだろう。陽に晒され白っぽくなつた葉が散らばったさまを見て、なるほど、蛇の脱皮との連想はありうるなと思った。
●朴の花を見るには
朴は、モクレン科モクレン属、英名でマグノリア属の一種である。この属の樹木は、おおぶりの花をつけ、かぐわしい香を放つ。コブシ(辛夷)、モクレン(木蓮)、タイサンボク(泰山木)などが同属である。
花の大きさでは、ホオノキ以上と言えるタイサンボクは、北アメリカの原産で、一三○年位前に日本に渡来したと言われる。
一方、朴の木は、わが国の特産とされ、より愛着がわく。「朴」という字の響きや意にも親しみを抱いてしまう。
その花は、どちらかというと木の上に咲く。人知れず香りを漂わすのである。それで、その見事な大輪の白い花をよく見るには、木を見下ろす位置に自分を置くのがいい。ほどよい谷間に生えた朴を眺めるとよい。わたしの住まいのちかくに、そんな場所があって、季節になると眺めに行ったりする。ただ、蛇が出そうな谷のところ立っている。
実際、その近くで日向ぼっこをしている蛇を踏んづけそうになって、ドキリとしたことがある。
●ふくよかな朴の葉
白洲正子が、朴の木のことを次のように語っている。
「今、私は家の雑木林から朴の葉を一枚とってきて、机の上において眺めているが、見れば見るほど豊かな形と。美しい色をしている」
そのふくよかで大きな緑の葉は、必ず、あなたの心まで豊かにしてくれる。
三○センチくらいにもなる朴の葉は、日本の樹木のなかで、一番大きいと言われる。橡の木の葉も大きく、形も似ているが、朴に較べると薄っぺらである。
朴の葉は、食べ物を包んだり載せたりするのに使われる。刻んだ山菜と味噌を載せて、炭火で焼いた飛騨の「朴葉焼き」は有名である。餅をくるんで焼けば、「朴葉餅」である。
●朴歯の下駄がいいな
朴の木を材としたもので、わたしにとって一番身近かであったのは、「厚歯(あつば)」だった。これは、一般的な呼び方とは異なるかも知れない。朴の木を歯とした下駄である。中学生時代によく履いた。
その材が、やわらかく均質で、地と接する下駄の歯に向いているのである。丈のあるそれをつけて履くと、背が伸びた感じがした。
歯がすり減ると、下駄屋に行って、新しいものに付け替えてもらった。
今や、朴歯の下駄は、民芸品に近いような状態にある。ある時、それが売られているのを見かけて、買おうかと思ったが、やけに高価であった。履くにも、コンクリートでかためられた道ではなと、自分を説き伏せ、散財を抑えた。但し、なんとも未練は残った。
下駄屋は、街角からほとんど姿を消してしまった。思えば、わたしたち日本人の文化は、木と切っても切れない関係にあった。その文化の復興を。