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夢は生

2018-04-13 | 【断想】ETC
 式子内親王の歌。
 はじめなき夢を夢ともしらずしてこのをはりにやさめはてぬべき
 つかのまのやみもうつつもまだしらず夢よりゆめにまよひぬる哉
 去年2月にみた夢を覚えている。
 今年4月にみた夢を覚えている。
 これは、わたしの普通の夢。
 さて、内親王の夢、それはわたしたちの生。
 内親王の生。夢は生。

和泉式部の煙

2018-03-21 | 【断想】ETC
 和泉式部和歌集をペラプラめくる。
 見逃したものがあるかと思うが、「煙」が出てくるのをピックアップ。
 これまで、気づかなかったものも見つけた。
 それだけ読むと何のことかわかりにくいものもある。
 だけど、和泉式部の煙は、火葬による煙。
 そうでない場合もあるようだが。

 立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
 それと見よ都の方の山際にむすぼほれたる煙けむらば
 はかなくて煙となりし人により雲居の雲のむつましきかな
 夢ばかり合はせ薫物なかりけり煙となりて上りにしかば
 思ひやる心は立ちもおくれじをただひたみちの煙とや見し
 あはれこの月こそ曇れ昼見つる火屋の煙は今や立つらん
 けぶりなん事ぞかなしきうつ蝉のむなしきからもあればこそあれ
 うちかへし思へば悲し煙にもたちおくれたる天の羽衣
 よそなりし同じときはの心にて絶えずや今もまつの煙は

あかき蓮の身

2018-03-21 | 【断想】ETC
 もうだいぶ前になるが、病院で一週間ばかり過ごさなければならないことがあった。
 古今集と新古今集を持って行き、「死」に触れた和歌を選んで読んだ。
 古人は、「死」とどう向きあっていたかと思ったのだ。
 総じて感じたのは、泣いたり叫んだりはしてないなと言うこと。
 恋多き女と言われた和泉式部には、「死」にふれた歌も多い。
  立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
 荼毘にふされて立ちのぼる煙を見て、いつの日か自分もあのようになるものと思う、そんな意だ。
  願はくは暗きこの世の闇を出でてあかき蓮の身ともならばや

神への願い

2018-03-20 | 【断想】ETC
 1と2は、エピクロスの教説から断片(出隆・岩崎允胤訳)。
 3は、KENTAROの一言。

 1.自分で十分に用が足せるものごとを、神々に請い求めるのは、愚である。
 2.もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びていたであろう。というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。
 3.本来、医者や政治家がやればいいことを神に願うのは、いかがなものか。神には、魂の救いを祈りたいものだ。
   キリスト教の聖職にある者が、病気治癒や受験合格と言う現世利益を祈ったりするのを聞くと、がっかりするものだ。

隠れて生きよ

2018-03-17 | 【断想】ETC
 エピクロスは、「隠れて生きよ」と言う。
 魂の平静のためには、それもいいとは思うが、
 俺には、できそうな気がしない。
 世俗のこまごま、優劣などにこだわっている奴を嗤いはするが。
 自分自身、そんな世俗からきれいに抜けることなどできそうでない。
 いつも煩わしいことがある。
 それは、俗世にこだわっている証左。
 つまらないね。

汝は塵なれば

2018-03-16 | 【断想】ETC
死にまつわる言葉をさがした。
友竹正則の詩集の黒いページに、
死のことがあったと思って開いた
友竹辰詩集・「死について」・「3 エペイソヂオン」
闘牛場、闇と光、真紅のもののこと・・・

旧約聖書創世記第3章19節
 汝は面に汗して食物を食い終に土に帰らん
 其は其中より汝は取られたればなり
 汝は塵なれば塵に皈るべきなり

エピクロスの教説より(出隆・岩崎允胤訳)
 人はだれも、たったいま生まれたばかりであるかのように、この生から去ってゆく。

パルラダースの詩「一生」(沓掛良彦訳)
 裸で生れて死ぬのも裸
 裸で死ぬと決まつたものを
 あくせくとして何としよう。

友竹辰詩集の「死について」の「1 プロロゴス」の一部
 みんなは
 死ぬ時のことを
 考えた・・・・・
 ・・・・・・
 ・・・・・・牡牛は
 草原に居た時よりも孤独で
 死はかたい と
 叫んだ みんなは
 黙つていた

篠原の首洗池

2018-03-13 | 【断想】ETC
 「つひに首をば搔き落されて篠原の土」とは、謡曲「実盛」の末尾の一部。
 白洲正子の「謡曲平家物語」に刺激され、謡曲に関心を持ち出した頃、この「実盛」を読んだ。
 何故、「実盛」かと言うと、郷里・石川県の加賀市に篠原古戦場があり、そこに実盛の首を洗ったとされる首洗池があって、小さい頃、遠足で見に行ったことがあるからだ。
 年老い髪が白くなった実盛は、髪を黒く染めて戦にのぞんでいたと言う。敵に、老人と見られて、力を抜かれるのを、いさぎよしとしなかったからと聞いている。
 そう言う、魂の姿勢がいい。

名に負う春の気色かな

2018-03-11 | 【断想】ETC
 謡曲の「熊野」より。
 命短し老母を思う熊野。
  年古りまさる朽木桜
  今年ばかりの花をだに・・・
  ・・・・・
  花は春あらば今に限るべからず・・・
 花見の酒宴で気持ちそぞろに舞を舞う熊野。
  春雨の
  降るは涙か桜花
  散るを惜しまぬ人やある  
 村雨に花が散り、酒宴は終わる。
 熊野は、老母のもとに向かう。
 京都の清水寺あたりが、この出来事の場所。
 「散るを惜しまぬ人やある」
 普通そうだね。

  春の日の散歩。毎年の梅の花を見る。

死を呼ぶ夜烏

2018-03-09 | 【断想】ETC
 古い詩に、「夜烏の声は、死を呼びこむ」と言うようなのがあった。
 死神をひきつけ、喜ばしてしまっては、おしまいだ。
 さて、死神が嫌いなもの、逃げ出したくなるのは、何だろうか。
 死にたくなかったら、そこらを探るのもひとつだね。

死は無感覚

2018-03-09 | 【断想】ETC
 エピクロスは、「われわれにとって、死はなにものでもない」と言う。
 死は、分解をもたらし、分解したものは、感覚がないから、と言うことである。
 要するに、死ぬまでは、死を恐れてみたり、あれこれ煩いもあるが、死んでしまえば、そんな思いや感覚はなくなってしまう。
 だからさ、あれこれ煩うのは、やめちまえ、そんなところか。

閻浮の夜遊

2018-03-09 | 【断想】ETC
 謡曲「重衡」に「閻浮の夜遊」と言う言葉。
  軍兵あの春日野に籠もり
  夜な夜なともす篝火
  飛火野と名付けたり
  修羅の夜戦
  剣の光
 わたしには、出てくる言葉のひとつひとつが魅力的。