式子内親王の歌。
はじめなき夢を夢ともしらずしてこのをはりにやさめはてぬべき
つかのまのやみもうつつもまだしらず夢よりゆめにまよひぬる哉
去年2月にみた夢を覚えている。
今年4月にみた夢を覚えている。
これは、わたしの普通の夢。
さて、内親王の夢、それはわたしたちの生。
内親王の生。夢は生。
はじめなき夢を夢ともしらずしてこのをはりにやさめはてぬべき
つかのまのやみもうつつもまだしらず夢よりゆめにまよひぬる哉
去年2月にみた夢を覚えている。
今年4月にみた夢を覚えている。
これは、わたしの普通の夢。
さて、内親王の夢、それはわたしたちの生。
内親王の生。夢は生。
和泉式部和歌集をペラプラめくる。
見逃したものがあるかと思うが、「煙」が出てくるのをピックアップ。
これまで、気づかなかったものも見つけた。
それだけ読むと何のことかわかりにくいものもある。
だけど、和泉式部の煙は、火葬による煙。
そうでない場合もあるようだが。
立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
それと見よ都の方の山際にむすぼほれたる煙けむらば
はかなくて煙となりし人により雲居の雲のむつましきかな
夢ばかり合はせ薫物なかりけり煙となりて上りにしかば
思ひやる心は立ちもおくれじをただひたみちの煙とや見し
あはれこの月こそ曇れ昼見つる火屋の煙は今や立つらん
けぶりなん事ぞかなしきうつ蝉のむなしきからもあればこそあれ
うちかへし思へば悲し煙にもたちおくれたる天の羽衣
よそなりし同じときはの心にて絶えずや今もまつの煙は
見逃したものがあるかと思うが、「煙」が出てくるのをピックアップ。
これまで、気づかなかったものも見つけた。
それだけ読むと何のことかわかりにくいものもある。
だけど、和泉式部の煙は、火葬による煙。
そうでない場合もあるようだが。
立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
それと見よ都の方の山際にむすぼほれたる煙けむらば
はかなくて煙となりし人により雲居の雲のむつましきかな
夢ばかり合はせ薫物なかりけり煙となりて上りにしかば
思ひやる心は立ちもおくれじをただひたみちの煙とや見し
あはれこの月こそ曇れ昼見つる火屋の煙は今や立つらん
けぶりなん事ぞかなしきうつ蝉のむなしきからもあればこそあれ
うちかへし思へば悲し煙にもたちおくれたる天の羽衣
よそなりし同じときはの心にて絶えずや今もまつの煙は
もうだいぶ前になるが、病院で一週間ばかり過ごさなければならないことがあった。
古今集と新古今集を持って行き、「死」に触れた和歌を選んで読んだ。
古人は、「死」とどう向きあっていたかと思ったのだ。
総じて感じたのは、泣いたり叫んだりはしてないなと言うこと。
恋多き女と言われた和泉式部には、「死」にふれた歌も多い。
立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
荼毘にふされて立ちのぼる煙を見て、いつの日か自分もあのようになるものと思う、そんな意だ。
願はくは暗きこの世の闇を出でてあかき蓮の身ともならばや
古今集と新古今集を持って行き、「死」に触れた和歌を選んで読んだ。
古人は、「死」とどう向きあっていたかと思ったのだ。
総じて感じたのは、泣いたり叫んだりはしてないなと言うこと。
恋多き女と言われた和泉式部には、「死」にふれた歌も多い。
立ちのぼる煙につけて思ふかないつまたわれを人のかく見ん
荼毘にふされて立ちのぼる煙を見て、いつの日か自分もあのようになるものと思う、そんな意だ。
願はくは暗きこの世の闇を出でてあかき蓮の身ともならばや
1と2は、エピクロスの教説から断片(出隆・岩崎允胤訳)。
3は、KENTAROの一言。
1.自分で十分に用が足せるものごとを、神々に請い求めるのは、愚である。
2.もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びていたであろう。というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。
3.本来、医者や政治家がやればいいことを神に願うのは、いかがなものか。神には、魂の救いを祈りたいものだ。
キリスト教の聖職にある者が、病気治癒や受験合格と言う現世利益を祈ったりするのを聞くと、がっかりするものだ。
3は、KENTAROの一言。
1.自分で十分に用が足せるものごとを、神々に請い求めるのは、愚である。
2.もし神が人間の祈りをそのまま聴き届けていたならば、人間はすべて、とっくの昔に亡びていたであろう。というのは、人間はたえず、たがいに、多くのむごいことを神に祈ってきているから。
3.本来、医者や政治家がやればいいことを神に願うのは、いかがなものか。神には、魂の救いを祈りたいものだ。
キリスト教の聖職にある者が、病気治癒や受験合格と言う現世利益を祈ったりするのを聞くと、がっかりするものだ。
エピクロスは、「隠れて生きよ」と言う。
魂の平静のためには、それもいいとは思うが、
俺には、できそうな気がしない。
世俗のこまごま、優劣などにこだわっている奴を嗤いはするが。
自分自身、そんな世俗からきれいに抜けることなどできそうでない。
いつも煩わしいことがある。
それは、俗世にこだわっている証左。
つまらないね。
魂の平静のためには、それもいいとは思うが、
俺には、できそうな気がしない。
世俗のこまごま、優劣などにこだわっている奴を嗤いはするが。
自分自身、そんな世俗からきれいに抜けることなどできそうでない。
いつも煩わしいことがある。
それは、俗世にこだわっている証左。
つまらないね。
死にまつわる言葉をさがした。
友竹正則の詩集の黒いページに、
死のことがあったと思って開いた
友竹辰詩集・「死について」・「3 エペイソヂオン」
闘牛場、闇と光、真紅のもののこと・・・
旧約聖書創世記第3章19節
汝は面に汗して食物を食い終に土に帰らん
其は其中より汝は取られたればなり
汝は塵なれば塵に皈るべきなり
エピクロスの教説より(出隆・岩崎允胤訳)
人はだれも、たったいま生まれたばかりであるかのように、この生から去ってゆく。
パルラダースの詩「一生」(沓掛良彦訳)
裸で生れて死ぬのも裸
裸で死ぬと決まつたものを
あくせくとして何としよう。
友竹辰詩集の「死について」の「1 プロロゴス」の一部
みんなは
死ぬ時のことを
考えた・・・・・
・・・・・・
・・・・・・牡牛は
草原に居た時よりも孤独で
死はかたい と
叫んだ みんなは
黙つていた
友竹正則の詩集の黒いページに、
死のことがあったと思って開いた
友竹辰詩集・「死について」・「3 エペイソヂオン」
闘牛場、闇と光、真紅のもののこと・・・
旧約聖書創世記第3章19節
汝は面に汗して食物を食い終に土に帰らん
其は其中より汝は取られたればなり
汝は塵なれば塵に皈るべきなり
エピクロスの教説より(出隆・岩崎允胤訳)
人はだれも、たったいま生まれたばかりであるかのように、この生から去ってゆく。
パルラダースの詩「一生」(沓掛良彦訳)
裸で生れて死ぬのも裸
裸で死ぬと決まつたものを
あくせくとして何としよう。
友竹辰詩集の「死について」の「1 プロロゴス」の一部
みんなは
死ぬ時のことを
考えた・・・・・
・・・・・・
・・・・・・牡牛は
草原に居た時よりも孤独で
死はかたい と
叫んだ みんなは
黙つていた
「つひに首をば搔き落されて篠原の土」とは、謡曲「実盛」の末尾の一部。
白洲正子の「謡曲平家物語」に刺激され、謡曲に関心を持ち出した頃、この「実盛」を読んだ。
何故、「実盛」かと言うと、郷里・石川県の加賀市に篠原古戦場があり、そこに実盛の首を洗ったとされる首洗池があって、小さい頃、遠足で見に行ったことがあるからだ。
年老い髪が白くなった実盛は、髪を黒く染めて戦にのぞんでいたと言う。敵に、老人と見られて、力を抜かれるのを、いさぎよしとしなかったからと聞いている。
そう言う、魂の姿勢がいい。
白洲正子の「謡曲平家物語」に刺激され、謡曲に関心を持ち出した頃、この「実盛」を読んだ。
何故、「実盛」かと言うと、郷里・石川県の加賀市に篠原古戦場があり、そこに実盛の首を洗ったとされる首洗池があって、小さい頃、遠足で見に行ったことがあるからだ。
年老い髪が白くなった実盛は、髪を黒く染めて戦にのぞんでいたと言う。敵に、老人と見られて、力を抜かれるのを、いさぎよしとしなかったからと聞いている。
そう言う、魂の姿勢がいい。
謡曲の「熊野」より。
命短し老母を思う熊野。
年古りまさる朽木桜
今年ばかりの花をだに・・・
・・・・・
花は春あらば今に限るべからず・・・
花見の酒宴で気持ちそぞろに舞を舞う熊野。
春雨の
降るは涙か桜花
散るを惜しまぬ人やある
村雨に花が散り、酒宴は終わる。
熊野は、老母のもとに向かう。
京都の清水寺あたりが、この出来事の場所。
「散るを惜しまぬ人やある」
普通そうだね。
春の日の散歩。毎年の梅の花を見る。
命短し老母を思う熊野。
年古りまさる朽木桜
今年ばかりの花をだに・・・
・・・・・
花は春あらば今に限るべからず・・・
花見の酒宴で気持ちそぞろに舞を舞う熊野。
春雨の
降るは涙か桜花
散るを惜しまぬ人やある
村雨に花が散り、酒宴は終わる。
熊野は、老母のもとに向かう。
京都の清水寺あたりが、この出来事の場所。
「散るを惜しまぬ人やある」
普通そうだね。
春の日の散歩。毎年の梅の花を見る。
古い詩に、「夜烏の声は、死を呼びこむ」と言うようなのがあった。
死神をひきつけ、喜ばしてしまっては、おしまいだ。
さて、死神が嫌いなもの、逃げ出したくなるのは、何だろうか。
死にたくなかったら、そこらを探るのもひとつだね。
死神をひきつけ、喜ばしてしまっては、おしまいだ。
さて、死神が嫌いなもの、逃げ出したくなるのは、何だろうか。
死にたくなかったら、そこらを探るのもひとつだね。
エピクロスは、「われわれにとって、死はなにものでもない」と言う。
死は、分解をもたらし、分解したものは、感覚がないから、と言うことである。
要するに、死ぬまでは、死を恐れてみたり、あれこれ煩いもあるが、死んでしまえば、そんな思いや感覚はなくなってしまう。
だからさ、あれこれ煩うのは、やめちまえ、そんなところか。
死は、分解をもたらし、分解したものは、感覚がないから、と言うことである。
要するに、死ぬまでは、死を恐れてみたり、あれこれ煩いもあるが、死んでしまえば、そんな思いや感覚はなくなってしまう。
だからさ、あれこれ煩うのは、やめちまえ、そんなところか。