銚子・角巳之・三代目

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3つの“間”

2006年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

100_0357 “合成の誤謬(ごびゅう)”と題して4日ほど掲載させて頂きましたが、思いの他?反響が大きく驚いております。匿名であれ、投稿は気が引けるので....、そんな前置きで頂いたメール30数通。本当に驚きました。私は生意気な事が言えた立場でもなく、何とか生き残っていかねば?と日々現場で肉体労働している一人なのですが、故に何らかの共感を得る事があるのか?と邪推したり、それだけ現代は病んでいるいるのか?と思ったりします。連絡頂ける事はただただ感謝。こういう方々がいるので、退屈な田舎の日常に張り合いのようなものを感じているのも事実です。来週は印旛の名刹(お寺)で地域の子供たちを集めて食育勉強会があるようで、これまた故あって見てこようと思っておりますが、我々の子供の頃はそういう“場”があったか?と考えております。ある新聞のコラムに、最近の子供たちには3つの“間”が無くなって、それが昨今の問題の根本であると言ったコラムが掲載されておりました。3つの“間”とは、①時“間”、②空“間”、③仲“間”だそうです。余計な事は申し上げません、これまた問題提起まで。なるほど3つの“間”か?.....。なるほど、なるほど....。私は明日も早朝より水揚げ作業です。...、これまた私の空間の1つになりつつあり、最初は何が何だか分かりませんでしたが、最近は“居場所”の1つ?と思えるようになって参りました。居場所がある意義と言うものと併せて考えると、合成の誤謬も、3つの間も、要するに“子供が”ではなくて、最近の日本人は?と言う問題なのでは?を感じている今日この頃であります。