銚子・角巳之・三代目

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天地人②

2007年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0939 直江兼継は幼少期より上杉謙信に見出され、後継者・上杉景勝の重臣となる。謙信から天下取りなど小事に過ぎず、“義”に生きる事こそ人の道と教えられ、愛と義の人格を形成していく。あまりの男気と才能に天下人・秀吉が惚れ、自分の家臣に。と申し出ますが、私の主は上杉景勝ただ一人。と拒否。秀吉の怒りを買えば切腹という状況でこのセリフ。ますます惚れた秀吉は、上杉家・一介の家老に過ぎない兼継に30万石(当時・景勝は120万石)という大領を与えます。家康に送りつけた弾劾状。武器を集め、城を補修しているのは謀反の前触れと難くせ付ける家康に、上方は華美な茶器などを集め、風流な生活を送っているだろうが、我ら田舎者ゆえ日々鍛錬し、武器を集めるは武門の習い....。それでもまだ難くせ付けるなら...、お相手致す、掛かって来い。上杉家は戦う事無く関が原の敗者となりますが、再び家康とまみえた兼継は、貴殿と真っ向から勝負してみたかった....。家康もこの男気に触れ、本来であれば切腹・お家断絶のところ、米沢30万石の減封のみで処分が終わる。このうち兼継は6万石を与えられますが、5万石は家臣達に、5000石は身の回りの世話をしてくれる人達にそれぞれ分け与え、自らは5000石でつつましやかな生活を送っていたそうです。その後、雪深い米沢で、上杉家は苦難の歴史を歩みますが、兼継はすぐ藩政改革に着手。自ら鍬を持ち領民と共に実質石高を倍以上に上げたそうです。彼の逸話は多数残っておりますが、とても書き切れない。現代人は直江兼継の生涯に何を見るのでしょうか?