銚子・角巳之・三代目

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“黄金”週間から③

2007年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

Img_0884 オランダはもともと勤勉実直な国民性を背景に、一次産業を中心とした生活を行っていたが、独立を契機に、優秀なオランダ人は次々と新しい仕組みを考え、実行していく。オランダ黄金の世紀と呼ばれる時代は概ね西暦1600年から1650年くらいまでを指し、その時代に大活躍したオランダの画家・レンブラントの人生と重ね合わせ“光と影”と呼ばれることも。レンブラントはその人生を瞬く間に駆け上がっていくが(光)、晩年は孤独で寂しい終焉を迎える(影)。さて西暦1600年、日本では天下分け目の関が原の時代。その時にオランダでは何が起こっていたのかというと、世界最初の株式会社・東インド会社が発足しています。オランダはもともと資源が少なく、外国から資源を輸入して、それらを加工して製品を製造し、輸出して儲ける。或いは東インド会社などを通じて、商品の中継によって利益を得る。当時こういう芸当の出来た国は殆ど無く、こうなると自然発生的に、お金が集るようになり、アムステルダムは世界の金融センターと呼ばれるようになる。お金が集り余剰が出来ると、投資が始まる。そこで瞬時に得られる利益は、魚の干物を販売して得られる1年間分の利益より大きい。こうなると更に過激になり、もはや止める手段はなくなる。例えば1個100だったチューリップの球根が1万円になる。勤勉実直だった人々は、もう干物なんか作ってられるか。そんなの海外から買えば良いんだよ。となって....。続きは明日。