風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

縮図

2006-03-20 | 風屋日記
小学校時分を思い出してみよう。
教室の中に腕力の強い子がいるとしたら
その周囲で虎の威を借る腰ぎんちゃくは別として、
まぁ大概の人たちは無用なトラブルをさけるために
多少、許容範囲内のことであれば、眉をひそめながら従うだろう。
どうしても理不尽で従うことができない時には
HRなどの議題として取り上げ、人数で凌駕すればいい。
それが民主主義。

腕力の強いヤツらが複数人いる場合はどうか。
それぞれの腰ぎんちゃく達一派を含めた当事者同士は
意識しあい、反目しあい、牽制しあうだろうし、
周囲の人間はどちらにつくのか迫られて困ってしまう場合もあるが、
ほとんどの場合どちらとも距離を置くことになるのだろう。

それじゃ教室内では
常にパワーケームが支配しているかといえば、それもまた違うなぁ。
腕力の強いヤツらが一目置き、手出しできない輩もいる。
そういう世界を超越し、その人間なりの価値観を持っているヤツや
腕力以外の別な資質を飛び抜けて持っているヤツらは
周囲のパワーゲームに冷ややかな目を向ける。
ちなみに
少女マンガの主人公達ってのはそういう輩が多いね(笑)


小学校の教室内は、リレーションやコミュニケーションの縮図。
人間社会も大なり小なり同じような図式だろう。

例えば日本は現在、
教室内でもっとも腕力の強いヤツの虎の威を借る腰ぎんちゃく。
力を持つ他の輩も苦々しく思いながら手出しできない。
もちろんその他のノンセクトたちは遠巻きにして見てるだけ。
でも、だからといって100%安泰でいられることはない。
オヤブンからは無理難題を押し付けられ、
それを拒否すると露骨に突き放される。
孤立した腰ぎんちゃくを待っているのは牙を向いた他の勢力。
イヤイヤながらもオヤブンの言うこと聞かなきゃならんわなぁ。

例えばホレ、オヤブンが勝手に戦闘機を岩国に持っていくことを
コブンといたしましては住民が何と言おうと支持しなきゃなんない。
オヤブンの基地がサイパンへ大規模に引っ越す時には
「兆」の単位のお金を負担しなくちゃなんない。
オヤブンがイラクへ出陣の際にはお供し、
オヤブンの軍が引き上げるまでいなくちゃなんない。
それでいて「金がない」と社会補償費を削り、
「半永久的に」と自ら言っていた減税措置を取り止める。
この国はいったい誰のもの?

いい加減、虎の威を借りなくてもいい国にしたいよね。
だからといって今から腕力を鍛えることがいいとは思わないけど。
パワーゲームのモノサシで計るのを止め、
自らの価値観を持った別な資質を身につけられられんもんかな。
腕力を持つ国々が一目置いてくれるような価値観と資質。
いわばジャイアンの腰ぎんちゃくであるスネ夫的存在から脱却して、
のび太にとってのドラエモンのような価値が欲しい。
憲法9条を持ってるだけでも充分いけると思うんだけどなぁ。
コメント (2)
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