風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

安息場所

2006-03-08 | 風屋日記
中学時代、喫茶店への出入りは校則で禁止されていたが、
私の両親がコーヒー好きだったため、時々一緒に行っていた。
と言ってもたいした店じゃない。
せいぜい自宅近くで近所の人が経営していた「ラズベリー」。
たまに市街地にあってちょっと洒落た「みまつ」にも行ったが、
今思えば何の特徴もない、こじんまりとした店だった。
中学校3年になると、必要もないのに盛岡へ模試を受けに行き、
予備校近くの「メルシー」という店でお昼を食べたりした。
自分達だけで喫茶店に入るという、少し背伸びをした気分ではあった。

高校時代になると行きつけの店ができた。
以前何度か書いた「ぐがーん」や「エル・グレコ」は
時折ライブが行われたり、JAZZをかけたりしていて、
その黒い壁に白い枠の扉は大人への入り口だったと思う。
もちろん両店とも夜には酒を出していたので、
昼間コーヒーを飲みに行っても、前夜のけだるい匂いや空気が残り、
マスターからはいろんなことを学んだ。
(両店がどんな店だったか何度か書いているので
 興味があったら私のブログ内に両店名で検索をかけてみて欲しい)

大学の頃は、まず高校の頃から憧れていた
永島慎二のマンガに出てくる「ポエム」にはまっ先に行った。
大学の近くにあり、のちに自分がアルバイトをすることになる「べる」や
名前は忘れてしまったが東高円寺のアパート近くの喫茶店にも
結構な回数通った。
それらの店は(名は忘れても)店構えや内装、店内の匂い、
そして一緒だった人とどんな会話を交わしたかなど
その情景は今でも目に浮かぶ。

岩手に帰ってきてからは、大学時代も帰省の度に寄っていた
「絵夢」や「ライムライト(後の木琴)」に休みの度に通うようになる。
今に続く家内との物語は、ココアがおいしかった「とも」で始まり、
結婚するまでの舞台は「絵夢」だった。
(そういえば「絵夢」のママだったYさんと先日バッタリ会ったなぁ)
私がまだ盛岡でアパート暮しをしていた頃、
家内の大学時代の思い出の店だったという「ポプラ館」にも行ったなぁ。
盛岡駅近くの開運橋のたもと、北上川を見下ろす川べりにあった店だ。

私の若い頃の様々な思い出が詰まった数々の喫茶店は
いったいどこに行ってしまったんだろう。
今目に映るのはファストフードのハンバーガー屋か
これまたファストフードっぽい店になったコーヒー店だけだ。
あの、店主の趣味が反映された音楽や雰囲気、
そしてそこだけゆっくり流れる時間はもうなくなってしまったのだろうか。
私の息子達は、それぞれの彼女とどこで語らっているのだろう。
そして数十年後どのようなシチュエーションとして思い出すのだろうか。

かつてたくさんあった喫茶店は、
様々な思い出をしまっておく小箱のような存在に思えるのだが。
コメント (6)
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