先日こんな新聞広告を見つけた。
ちょっと興味がある。
これらの問いは哲学の世界では基本中の基本。
というより、この命題を解きほぐすために哲学はある。
数日前のテレビで
とある有名人が同業の達人を指して
「彼は○○をするために生まれてきたようなもの」
という表現をしていた。
人はそれぞれこの世でなすべき役割がある。
それは何も大層なことばかりじゃない。
生まれてきただけで家族にとっては大切な存在。
普通に生きているだけで、その姿に救われる人もいる。
意識しなくても、自分が気づかないこともある。
無理をするんじゃなく、自分ができることをするだけで
その人の存在意義はある。
歯ブラシを作る人は、その歯ブラシを使う人の役に立っている。
野菜を売る人は、美味しく食べる消費者の役に立っている。
たとえ仕事がなくたって、消費活動に感謝する人もいる。
子にとって親は大事な存在だし、その逆も。
人は生きているだけで、その存在には意義がある。
ただし「我々はどこからきたのか」「何者であるか」という問いは重い。
人間は自然が産んだ奇跡と考えているが、
それならばその人間が自然を破壊する行為はどうなんだろう。
自らの出自を破壊しているようなものじゃないか?
原発による核のゴミの問題。
社会活動によって排出する二酸化炭素の影響。
森林伐採や、兵器による環境破壊。
我々はどこに向かうのか?