風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

読書のつどい

2020-10-26 | 読書

花巻市の図書館が主催している
「みんなのライブラリー 読書のつどいトークイベント」
に土曜日出かけてみた。
進行役はえふえむ花巻放送局長の落合昭彦さんで
ゲストは最近注目の歌人でエッセイストのくどうれいんさん。
近著の「わらうおばけ」を以前読んでいて
その独特な世界を面白く感じていたところだったので
仕事柄も、個人的にも興味があって参加した。

まだ20代半ばのくどうさん。
手垢のついていない自分の言葉で語る表現は
書くものと同じで、その感性そのものが面白かった。
「決まった表現に縛られることなく自分なりの表現を」
という話にはまったく同意しつつも
果たして「定番表現」は「縛られて」いるのか?
落合さんも言っていたけれど
単に表面的なことだけさらって楽しているのではないか?
自らのボキャブラリーの少なさに気づかず
ステレオタイプな表現在庫から持ち出しているだけではないのか?
これはもちろん自戒も込めて感じたことだ。
どう表現するかは、どう感じるかから始まる。
どう感じたかを反芻し掘り下げることなく表現すると
どうしても「定番表現」になってしまうから。
その話を聞きながら、自分に向けて「楽するな」とメモった。
もっと本質を追求し、しぶとく考えて書く。
改めて自分の仕事を省みるきっかけとなった。

くどうさんは会社員と作家の2足の草鞋。
しかもそれをこれからも脱ぐつもりはないと言う。
正解だと思う。
特に若いうちからひとつの世界の中にだけいると
どうしても見える世界が狭まってくる。
殊にフリーランスで作家という仕事をしていると
自らアプローチしなければ違う世界を見ることは少ないだろう。
作家の仕事の他に違う世界を持っていると
否応無く自然に広く視野を持つことができる。
今はまだ若い感性を持っているから
まだまだ表現が泉のように湧いてくるだろうが、
やはり歳とともにそれは凝り固まっていく。
始終感性を攪拌し続けるのはとても難しいことだ。
「感覚のストレッチ」はとても大事。
違う仕事を持っていると、それは自然にできてくる。
とはいえそっちの仕事とのバランスも難しいのだけれど。

道を極める難しさって、
もしかするとそういうことなのかもしれないなぁ。
コメント
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