風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

地方に住むということ

2018-12-26 | 世界・平和


高校を卒業する18歳まで花巻で過ごし
どうしても広い社会を見てみたくて大学は首都圏を選んだ。
ところが大学1年次の校舎は静岡県の三島市。
大学2年次から東京の校舎へ通うことになった。
諸般の事情でそれから4年間東京に住み
(当初は帰るつもりは無かったが)23歳で結局帰郷することに。
その後結婚と同時に実家を出て、
それまでの住宅街(文教地区)から農村地帯へ。
盛岡の会社に通いながらも花巻に住み続けた。
2010年から2014年までは仕事の関係で東京に単身赴任し、
2014年夏に会社を辞めてからは
仕事の場もプライベートも花巻だけになっている。
(東京に部屋を借りて2拠点もどきになっていた時期もあるし、
 今も月イチぐらいのペースで上京しているが)
つまり私の人生58年間のうち東京へは合計8年間、
そして三島に1年間住んだことになる。

最近、移住者受け入れに関係することが多く、
たくさんの岩手県移住者の方々と知り合いになり、
頼まれてもいないのに(笑)時々お節介を焼いたり、
一緒になってワイワイやったりしている。
実はそういうことに携わるのは最近だけでは無かった。
会社勤務時代、人事担当をしていた時も
様々な価値観が混在することによって会社の力になると
積極的にU・I・Jターン者を受け入れ
岩手県のU・Iターンセンターとも密接な関係を築いていた。
たぶん今も元の会社で中心になっているのは
その時入社してもらった人たちだと思う。
もちろん受け入れるだけではなく、
家探しを手伝ったり、生活面などのサポートもした。

彼らの移住の理由は様々。
一番多かったのは、奥様が岩手出身ということ。
首都圏での生活に見切りをつけ、奥様の故郷に移住したパターンだ。
(当時岩手県ではそれを「愛ターン」と呼んでいた)
次が自身のUターン。盛岡だけでは無かった。
そして「田舎で子育てしたい」というファミリー層。
「東京では埋もれてしまう自分のスキルも地方でなら活かせる」
という人もいた。

そんな仕事の中で、いろいろ感じたことがある。
美しい景色も、その地ならではの美味しいものも、
子育てに適した程よい自然も全国にある。
ひとがその地を選ぶ、人がその地にくるファクターとして
一番重要なのは、その地に住んでいる「ひと」であるということ。
上記理由の最初の2パターンの定着率が高いのは
まさにその理由による。
奥様か本人の人脈が既にあり、その地の文化を知っている。
3番目の理由という方も、ママ友ができたりすると
自然にその地に溶け込むことができると感じた。

「地方移住」というキーワードが語られるようになって久しい。
しかしソーシャル系のweb記事や雑誌などでは
「地方移住は難しい」「簡単に考えるべきではない」という
警鐘を鳴らす意見もよく見る。
曰く
「地方独特の文化に馴染めず村八分になる」
「濃密な人間関係に嫌気がさす」
「親しい友人ができず、孤立してしまう」
「祭やしきたりなどに縛られて忙しい」・・・云々
これらも根本原因は人間関係ではなかろうか。
文化やしきたりも、
面白がるか、自分の生活慣習を大切にするあまり拒否するか
それによって受け止めかたが違ってくると思う。
そして何よりも、その地の人々が彼らを自然に受け入れられるかどうか。
良い結果を産むか産まないか、結局は「ひと」だよね。
だから地方を美化したり、幻想を抱いたり、
逆に、悪し様に否定したり、腐したりするのは間違っている。
来る人も、迎える人も、
自然体でポジティブに出会いを楽しめるかどうかが大事。

1年間だけ住んだ三島でも、まずは町中を歩いてみた。
そこで発見したのは、
おそらくずーっと住んでいる人たち自身が気づいていない
水の町、歴史を感じる町三島の魅力。
そして飲みに行ったりすると気軽に話しかけてくれる町の人。
40年経った今でも楽しかった思い出が残る町となっている。
なんなら移住してもいいぐらい。
今住んでいるところも、同じ花巻市内とはいえ
住宅街に住んでいた頃にはまったく経験することがなかった
伝統的生活風習が残る農村地帯。
目にすること、体験することが目新しく面白かった。
おかげで地域に残るご祝いを歌うことができるようになり、
神楽まで始めることになった。
その他ならではの文化を楽しみ、人と触れる体験は楽しい。

ひとを呼ぶのはひと。
つながるひとがここにいる。
コメント
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