風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

新聞

2018-12-23 | 世界・平和


先日の朝日新聞に載っていた記事。
なるほど納得。

我が家では毎日新聞、事務所というか実家では朝日新聞、
かつては岩手日報や日本経済新聞を取っていた。
日経に関しては会社経営の一端にいたので否応なくだったけどね。
たまに東京に夜行バスで行ったりすると
朝時間を過ごす24Hファミレスで読売新聞が置いてあったりして
それもじっくり(時間があるので)読んだりもするから
全国3紙は目を通すことが多い。
(産経新聞は全国紙じゃなくなったし、ほぼ同人誌なので ^^;)
見比べは面白い。

右だ、左だを論じるつもりはないが、全国3紙を見比べた印象を書くと
読売はとても一般的な事象を総花的に書いてある感じ。
毎日新聞はポイントを押さえつつ、できるだけニュートラルに書いてある。
朝日は社会に隠れた諸問題について深掘りする感じ。
今世界で何が起きているのか、日本で何が話題になっているのか
ざっくり知るには読売、
その中で何に注目すべきなのか知るには毎日かな。
なるほどなぁと思わせる、あるいは考えさせる記事は朝日に多い。
残念ながら毎日新聞は岩手の支局の体制が弱いようで
地元記事がもうひとつってところと、
締め切りの関係なのか、ニュースが遅いところが勿体無い。
ざっくり分けてみると
政治経済の読売、文芸エンタメの毎日、社会の朝日ってところかな。

新聞というメディアは事象の裏側までじっくり読ませて
読者に考えさせるとことがメリット。
電波メディアが担っていた速報性は今じゃネットに叶わないが、
新聞そのものはまだまだ存在意義があると思う。
特にネットの場合はどうしても個人の閲覧履歴を参考に
どうしても自分が興味あるニュースばかり目につくようになるから
(だから上記の記事にあるような話になる)
そういった意味でも新聞の役割は重い。
特にネット記事のような総花的な読売よりも
読者にちゃんと考えさせる朝日新聞は貴重な存在だと思うんだ。
ただ、社会的マイノリティまで深く取り上げているから
「自己責任論」を「無責任に」言い立てる人たちにとっては
重箱の隅的に見えてしまうのだろう。
しかし、そこの取り上げられているのは紛れも無く人間。
ひとりひとりの人間に重箱の隅などない。
本人にとっては自分が見ている、体験している世界が全てなのだから。
そういうところにもきっちりと視線を送ることこそ
新聞というメディアに今求められていることなのではなかろうか。

いずれにせよ、新聞を読むことは大切だ。
できることならひとつの事象に関する複数紙の記事を読み比べたい。
それによって見えてくるものがあると思うから。
文章に目を通し、その意味を推し量ると言う行為が想像力を産むから。
その上で、他の人たちと様々議論すべきだろう。
その議論は勝ち負けを決めるものではなく
違う意見にも耳を傾けてまたそこから改めて考える。
それを繰り返すことでより思考が深くなろう。

社会の底辺に涙し、世界を憂い、川柳に苦笑する
そんな時間が、少なくとも今の私にはとても貴重な時間。
コメント
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