いつも思い出すのは24年前の春。
子供ながらに色々とやるせない思いをした生まれ故郷を出て、
新天地の東京へ、それも憧れ抜いた私立中学校に入学を決めて、
引っ越してきたあの春。
親父とも離れた春。
あそこから、すべてが始まったんだよな。
引っ越し先のマンションは、新しく造成した埋め立て地のマンション街で、
見るものすべてが新しく、気持ちが良かった。
「東京」にいるのが何だか変な感じがして、
一人でバスや電車に乗るのが大人な感じがして、
山間の住宅街から海沿いのマンション街に来たのが新鮮で、
とにかく何をするにもわくわくしてた。
駅まで向かうのにいつも通る、
公園の間を抜けていく細道いっぱいに、ツツジが咲いていた。
小学校の通学路、あまり友達とうまくいかなかった僕が、
よく独りで行き、独りで帰った道のわきにも、
見渡す限りのツツジが咲いていた。
多くの小学生がやるように、花を摘んで、
花弁の集まるところをちゅっと吸う。
ほんのり甘かった。
新しい街で、新しい学校で、幸いに友達がたくさんできて、
僕の生活は180度変わり、忙しくなった。
そこからはもう毎日やりたいことしかやらなかったし、
楽しくてしようがなかったような気がする。
道ばたで花を摘んで蜜を吸うこともいつしかしなくなったけれど、
それでもこの季節が来るたびに一度は試してみた。
やはりほんのり甘かった。
環境が変わる、というのはすごく大きなことだ。
振り返り見て僕は、この中学入学以来、
さほど大きな環境の変化に出合わなかったようにも思う。
浪人仲間をつくったり、大学でもサークルで動き回ったり、
バイト先でもグループ作って遊んでた。
まあ、ずーっと留年しっぱなしみたいな人生だ。
だから今もってどうも、いわゆる会社勤めのマインドにもなりきれないし、
ビジネスマン的な素養も身につかないままでいる。
この年齢になって久しぶりに同期の近況に触れると、
大企業にいたり外国にいたり教授になってたり、様々だ。
だけど不思議と僕はそれを羨むことがない。
すごいなあとは思うけど、自分がそうでないことを負い目に感じるような所がない。
「ちゃんと真面目に生きてたら、おれもそうだったかも知れない」???
ウソウソ。そんなにがんばれないから、おれ(笑)。
良くも悪くも、
自分の好きなこと、やりたいことにしか一生懸命になれない。
それでいい、と本気で思ってくれるのが僕の友達だ。
彼らもまた、自分の好きなことに邁進した結果がいまあるかたちなのだろう。
だから僕には羨む必要がないし、彼らもそれをひけらかしたりしない。
まあ、お金は彼らの方がたくさん持っているだろうけども(笑)。
でもお金ですら自分の人生の価値を測る尺度になり得ないことに、
僕の友人たちは当然のことながら気づいている。
だからまず、収入の話なんかしない。ある人もない人も。
偏差値の話をしないのと同じ美学だと思う。
勉強できる、仕事ができる、それは立派な能力だが、
勉強しか、仕事しかできないのはカッコ悪いのだ。
この「しかできない」人は、それ「しかない」ので、話題もそれしかない。
ただひとつの拠り所を認めて欲しい、可哀想な人が収入やら偏差値やらで自分を慰め、
勝ち組・負け組と言った安易な話題に行き着くのだろう。
で、その次は競馬・パチンコ・キャバクラだったりする。
僕はどうにもそういうのが苦手だ。
そういう型にはまった日本のオトナというか、
首にはめられたわっかを肯定したいためだけに、
「野良犬」を必要以上に貶める文化というか、キライだ。
それが何であれ、面白がってやっているひとの話は面白いが、
やらされルーティンにごちゃごちゃ偉そうな理屈を後付けしてる人の話は聞くだけ無駄だ。
まあ、どこにも属さず、何も持っていないのに、
訳知り顔で受け売りを並べるようなのも面倒だけど(笑)。
で、僕はこれからどうなるんだろうな、と考える。
あまり闇雲に新天地を目指すような強迫観念はない。
変わらなきゃ、とか、このままでいいのか、とか、
そういうのは体重以外に特には感じない(笑)。
だって考えたところで、なるようにしかならないもの。
ただひとつ、もうちょっと日本じゃない所を知りたいなとは思う。
会社の狭い世界で限界に思えたことが、
昔の仲間と語ってみるとなんてことのないことに見えるように、
近頃悟られる日本の限界も、世界を知ることで小さくできるのかも知れない。
そんなことを漠然と考えながら、連休に入る。
世間より遅ればせながら、今日から5連休。
思えばこの2ヶ月はまともに休んでなかった。
今日もそうだけど膨大な仕事があって、結局休みの日も家で仕事してた。
やらされ仕事じゃなくて、(特に震災後は)全部自分の判断だから、
昔のような閉塞感はもうないけれど、でもさすがにちょっと疲れたぞ。
疲れたって言うか、飽きた(笑)。
リフレッシュが必要です。
さっきやっと宿題仕事が終わったので、浜松の田舎へ帰ります。
外はうっすらにわか雨。
雨に濡れたツツジが公園の街灯に照らされるなんてのがまた、いいんだよね。
ツツジの季節を越えると母校は文化祭。
僕が委員長を務めてからはや20年。
あの頃のことを最近妙に思い出して、懐かしくてたまらないのは、
きっとFacebookのせいだと思う。
そう思う。
子供ながらに色々とやるせない思いをした生まれ故郷を出て、
新天地の東京へ、それも憧れ抜いた私立中学校に入学を決めて、
引っ越してきたあの春。
親父とも離れた春。
あそこから、すべてが始まったんだよな。
引っ越し先のマンションは、新しく造成した埋め立て地のマンション街で、
見るものすべてが新しく、気持ちが良かった。
「東京」にいるのが何だか変な感じがして、
一人でバスや電車に乗るのが大人な感じがして、
山間の住宅街から海沿いのマンション街に来たのが新鮮で、
とにかく何をするにもわくわくしてた。
駅まで向かうのにいつも通る、
公園の間を抜けていく細道いっぱいに、ツツジが咲いていた。
小学校の通学路、あまり友達とうまくいかなかった僕が、
よく独りで行き、独りで帰った道のわきにも、
見渡す限りのツツジが咲いていた。
多くの小学生がやるように、花を摘んで、
花弁の集まるところをちゅっと吸う。
ほんのり甘かった。
新しい街で、新しい学校で、幸いに友達がたくさんできて、
僕の生活は180度変わり、忙しくなった。
そこからはもう毎日やりたいことしかやらなかったし、
楽しくてしようがなかったような気がする。
道ばたで花を摘んで蜜を吸うこともいつしかしなくなったけれど、
それでもこの季節が来るたびに一度は試してみた。
やはりほんのり甘かった。
環境が変わる、というのはすごく大きなことだ。
振り返り見て僕は、この中学入学以来、
さほど大きな環境の変化に出合わなかったようにも思う。
浪人仲間をつくったり、大学でもサークルで動き回ったり、
バイト先でもグループ作って遊んでた。
まあ、ずーっと留年しっぱなしみたいな人生だ。
だから今もってどうも、いわゆる会社勤めのマインドにもなりきれないし、
ビジネスマン的な素養も身につかないままでいる。
この年齢になって久しぶりに同期の近況に触れると、
大企業にいたり外国にいたり教授になってたり、様々だ。
だけど不思議と僕はそれを羨むことがない。
すごいなあとは思うけど、自分がそうでないことを負い目に感じるような所がない。
「ちゃんと真面目に生きてたら、おれもそうだったかも知れない」???
ウソウソ。そんなにがんばれないから、おれ(笑)。
良くも悪くも、
自分の好きなこと、やりたいことにしか一生懸命になれない。
それでいい、と本気で思ってくれるのが僕の友達だ。
彼らもまた、自分の好きなことに邁進した結果がいまあるかたちなのだろう。
だから僕には羨む必要がないし、彼らもそれをひけらかしたりしない。
まあ、お金は彼らの方がたくさん持っているだろうけども(笑)。
でもお金ですら自分の人生の価値を測る尺度になり得ないことに、
僕の友人たちは当然のことながら気づいている。
だからまず、収入の話なんかしない。ある人もない人も。
偏差値の話をしないのと同じ美学だと思う。
勉強できる、仕事ができる、それは立派な能力だが、
勉強しか、仕事しかできないのはカッコ悪いのだ。
この「しかできない」人は、それ「しかない」ので、話題もそれしかない。
ただひとつの拠り所を認めて欲しい、可哀想な人が収入やら偏差値やらで自分を慰め、
勝ち組・負け組と言った安易な話題に行き着くのだろう。
で、その次は競馬・パチンコ・キャバクラだったりする。
僕はどうにもそういうのが苦手だ。
そういう型にはまった日本のオトナというか、
首にはめられたわっかを肯定したいためだけに、
「野良犬」を必要以上に貶める文化というか、キライだ。
それが何であれ、面白がってやっているひとの話は面白いが、
やらされルーティンにごちゃごちゃ偉そうな理屈を後付けしてる人の話は聞くだけ無駄だ。
まあ、どこにも属さず、何も持っていないのに、
訳知り顔で受け売りを並べるようなのも面倒だけど(笑)。
で、僕はこれからどうなるんだろうな、と考える。
あまり闇雲に新天地を目指すような強迫観念はない。
変わらなきゃ、とか、このままでいいのか、とか、
そういうのは体重以外に特には感じない(笑)。
だって考えたところで、なるようにしかならないもの。
ただひとつ、もうちょっと日本じゃない所を知りたいなとは思う。
会社の狭い世界で限界に思えたことが、
昔の仲間と語ってみるとなんてことのないことに見えるように、
近頃悟られる日本の限界も、世界を知ることで小さくできるのかも知れない。
そんなことを漠然と考えながら、連休に入る。
世間より遅ればせながら、今日から5連休。
思えばこの2ヶ月はまともに休んでなかった。
今日もそうだけど膨大な仕事があって、結局休みの日も家で仕事してた。
やらされ仕事じゃなくて、(特に震災後は)全部自分の判断だから、
昔のような閉塞感はもうないけれど、でもさすがにちょっと疲れたぞ。
疲れたって言うか、飽きた(笑)。
リフレッシュが必要です。
さっきやっと宿題仕事が終わったので、浜松の田舎へ帰ります。
外はうっすらにわか雨。
雨に濡れたツツジが公園の街灯に照らされるなんてのがまた、いいんだよね。
ツツジの季節を越えると母校は文化祭。
僕が委員長を務めてからはや20年。
あの頃のことを最近妙に思い出して、懐かしくてたまらないのは、
きっとFacebookのせいだと思う。
そう思う。