しかし世の中は辛いニュースが続きますな。
富山の2歳の男の子。
大阪の3歳の女の子。
静岡の3歳の女の子。
ウチの息子と同い年くらい。どうしたって重ねて考えてしまう。
堪えられないよなあ…可哀想に。
特に静岡の一件は保育園バス置き去りということで、
同様の福岡の5歳の男の子の件が記憶に新しいだけに、やるせなくてたまらない。
親としては何としても病気や怪我、事故や災害から守り抜いてやりたいと思うけれど、
保育園バス置き去りで誰も気づかないなんて、守ってやりようがない。
子供の怖さや苦しさ、親の無念を思うと言葉もない。
報道を見る限り、園の側に何重もの管理ミスがあったことは否定できないようだ。
「保護者に連絡しても電話に出ないし、無断欠席もあるし…」なんて、
そういうことであるべき形が歪んでいってしまう、というのはわかる気がする。
どこの組織でも同じようなことはあるだろう。
ただ、仕事というものは「責任感」と「想像力」だろうと僕は思っていて、
「これをやっておかなかったらどうなってしまうか」
「それは取り返しの利くことなのか、そうでないのか」
を常に考えていれば、自ずと怖くもなるしチェックにも向かう。
それが、ルールやシステムにばかり目がいくと、「上しか見ていない仕事」になる。
自分の担当範囲を限定し、決められた通り・指示通りにやっただけ、
だからその他のことに自分は一切責任はない、という発想になる。
組織においてルールやシステムはたしかに大事だが、運用するのは結局人間だ。
そこに多少の瑕疵があっても、スタッフの意識があればその穴は埋められる。
けれど、今回の件は不幸なことに、それがもう絶望的に期待できない状況。
職員がひとり休んだだけで、
七十代の「理事長兼園長」が運転代行しなければならないなんて、
どんだけ人繰り厳しいんだと思わされる。
まして、会見でうかがえた理事長兼園長の見識の浅さ、不用意な物言いからして、
そりゃあ、こんなのに想像力も責任感もないわな…と思わざるを得ない。
何も難しいことじゃない。
もしこのバスにひとりでも置き去りにされた子がいたら…と考えるだけでいい。
ましてや、昨年の福岡の事故があったばかりだ。
灼熱の炎天下で、バス内に閉じ込められて、どれほど恐ろしかったか、苦しかったか。
その痛みの何万分の一でもいい、感じとろうという思いがあれば、
どんなに忙しくたって車内の点検くらい、する。
それも怠る・忘れるような人間は、子供を預かる仕事になんか携わらないで貰いたい。
責任感と想像力。
思えば、どちらも欠けたような大人ばかりが跋扈する令和日本だ。
犠牲になるのはいつも弱いものたち。
亡くなった子供たちのご冥福を祈るばかりだ。