いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

let me be

2017-08-25 12:27:13 | 超・いぶたろう日記
昔使ってたメールソフトを偶然起動させてしまい、
それをきっかけに十数年前の自分の書いたメールを読み返す。
なんともはや、二十代の僕のトゲトゲしさったらない。
誰彼かまわず屁理屈を振りかざし、刃物のような言葉を突きつける。
他者を理解しようとせず、ひたすらに自分の正当性を訴える。
省みるに恥ずかしいなんてもんじゃない。
よくまあこんなので誰にも刺されずやってこれたよなあ。
自分独りだけで生きている気になってたんだろう、なあ。

振り返っていまの僕が丸くなったか、オトナになったかと言えば、
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
相変わらず納得のいかないことには頑として首を縦に振らないし、
言葉もキツイことがあるかもしれない。

ただ年齢相応に、
自分は周りに生かされているということは自覚できたつもりだし、
人には人の立場があるということも多少は学べたんだろう。
いまだったらもっと違う書き方ができるのにな、と思う。

42年の半生を顧みて、一言で僕の人生を形容するなれば
「クソ生意気」であるに違いないだろう(笑)。
そのせいでたくさん恥もかいたし、至る所で自分の限界も知った。
でも、逆に生意気で向こう見ずだったからこそ怯まずに進み、
思わぬところで自分の可能性も知ることができた。

変わろうと思って変わったわけじゃないけれど、
自分らしく選択を繰り返し、自然であろうとした結果が
いまに至る変化であるなら、そう悪いことでもないのかな。

面倒くさいヤツであることには変わりなさそうだけど、
実は僕自身が昔よりもずっと面倒くさがりになったことで
かなり中和されている面もあったりする。

楽観にも悲観にも偏らぬ、達観主義。
つまるところ「まーいーじゃん」と「しょーがねーよ」、
そして「なんとかならー」の境地。
諦観に陥らぬ程度に明るく、自分をラクに保っていると、
周りの人もラクにできるかもしれない。

そんなにカッコつけなくたってイイじゃないか、
とも自然に思えるようになった。
肩の力が抜けたのか、
ある意味ではそのおかげで昔よりもずっと自由になれた気がする。

はてさて、この書き込みをまた10数年後の自分は
どんな心境で眺めるのだろうか。
やはり小っ恥ずかしいんだろうか。だろうね。
でもまあ、いいよね。
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