いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

子供たちよ政治家のおじさんたちに学ぼう:その1

2017-06-20 23:22:38 | 超・いぶたろう日記
「勉強やるやる言うだけでやった気になるなよー、丁寧に説明するって言うだけでもう説明した気になってるどっかの総理大臣みたいになるぞー」



「宿題やってないなら素直に言えよー、やってないのにやったことにしたり、やったけどノートが確認できなかったと言い逃れたり、宿題忘れには当たらないとか言ってると、官房長官みたいになるぞー」
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嫌われ人生

2017-06-20 01:53:06 | 超・いぶたろう日記
思えば、何かと敵をつくる人生を送ってきたものです。

僕は好き嫌いがとてもハッキリしているし、
イヤなものは絶対にイヤだと言うし、
嘘つきには嘘つきと言うし、
知ったかぶりには知ったかぶりだと言うし、
誰にでもバカ正直に本音を言うし、
根拠のない話には噛みつくし、
同調圧力が大嫌いでムキになって刃向かうし、
まあ管理する人間には扱いにくいことこの上ないでしょうし、
予定調和を大事にする環境では、とにかく嫌われてきましたね。

よく言えば、真っ直ぐ。
悪く言えば、子供。

また、なぜかエライ人にはかわいがられることが多く、
何かというと特別扱いしてもらえたりもしました。
僕も遠慮というものを知らないし、
またやることなすこと目立つもんで、
「みんな同じ」が何より大切な人たちには、
とにかく嫉妬され、忌み嫌われてきました。

「なんでアイツだけ」
みたいなことは今まで何億回言われたかわかりません。

それでいて、
みんなに好かれようと思ったことは一度もないし、
みんなに好かれている人間は偽善者だと思っていたし、
何よりも自分が自由であることを最優先して生きてきました。

敵と味方を明確に色分けるような言動のせいで、
自分を嫌う人間が何人居ようと、
自分が嫌いな人間にいくら嫌われようと平気だわい、
むしろ都合がいい位だわい、と開き直っておりました。
振り返れば大学のサークルでも、バンドでも、バイト先でも、就職先でも、
いつでもそうでしたね。

ガマンするという機能が備わっておりません。
嫌いなことでも努力するなんていう機能もありません。
好きなことだけ、やりたいことだけ、やりたいようにやって、
たとえ少なくても理解してくれる人々と楽しく生きていく。
振り返ればそんな42年間でした。

いやぁ、こうして書き出してみるとたしかにイヤなヤツです(笑)。
でも、直そうと思っても直せないだろうし、
何をどう直せばいいのかもわからないし、
それはもはや個性と呼ぶべきものですからしょうがないですね。

昔の「いぶろぐ」を読み返しても、
まあ本当に言わなくてもいいことを言い、
揉めなくても済んだ人とわざわざ揉め、
些細なことにこだわり、取るに足りないことで人と争い、
自由であるが故の代償は小さくなかっただろうことは、
しみじみと胸にしみ入る感傷が教えてくれます(笑)。

ただね、後悔はまっったくないんですから、不思議なものです。

僕はたしかに普通よりも多くの人に嫌われてきたことでしょう。
でも、不思議なくらい孤独ではありません。
友達を厳選して生きてきたおかげで、
僕の周りで友達で居てくれている人は、
尊敬できる人や素敵な人ばっかりです。
おおよそ人付き合いでストレスを感じることがありません。

面倒な人、疲れる人、無神経な人、アホな人、スピリチュアルな人、
中身のない人、自分の考えのない人、思考停止している人、
感情と論理が区分できない人、権威や常識を振りかざす人、
そう言った僕が嫌いなタイプの人は、既に僕を嫌ってくれているので、
そもそも接触することがなく、ムリに付き合う必要がないんです。
みーーーんな予めブロックされているようなもんです。

そう、「自分を嫌いな人」とは即ち「自分が嫌いな人」である。
故に、好き嫌いをハッキリしていれば、向こうも自分を選別してくれる。
これはこの年になって気づいた、嫌われ者の利点というか、
人間関係でストレスなく生きていけるという点で最大のメリットなんです。

誰にでも好かれる必要なんてないんです。
好かれようと必死に努力するなんてアホくさいし、
嫌われないために自分を殺すなんて窮屈で仕方ない。
自分らしく自然体で生きた結果、
好かれたり嫌われたりするのは仕方ない。
好かれも嫌われもしない、毒にも薬にもならない、
無味無色な存在でいるよりはずっといい。
誰かにとっての毒でも、他の誰かには薬になるかもしれない。
その程度の期待を持って、自分らしく生きていけばいい。

誰とでも仲良くする必要なんか、まったく感じない。
誰かに好かれるってことは誰かに嫌われるってことでもあるから。
仲良くしてくれる人とだけ仲良くして、誠意を持って付き合っていけばいい。

考えてみれば、人は哀れだなと思う対象を嫌いはしない。
嫌う相手はいつだって、羨望か嫉妬の対象でしょう。
だとしたら、嫌われてるくらいの自分であり続けることは、
そう悪いことではないんじゃないかと。

我ながら、すごいこと書いてるなあ。
この記事自体、嫌われる要素満載だもんね(笑)。
年輪を重ねて、表現はやや老獪になってきたかもしれないけれど、
でも人間的な軸というか核みたいなものは何も変わってないもんなあ。

僕を嫌っている人は、僕の不幸や大失敗を願って、
やっぱり懲りずにここを覗いたりしちゃってるんだろうか。
ムカムカ来るのがわかってて、それでも見ちゃうんだろうか。
それって燃料補給みたいなもんなんだろうか。
僕がヒドイ目に遭っているとか、あるいは改心しちゃってるとか、
そんなの期待しちゃって、見ちゃうんだろうか。

残念でしたー。
とりあえず、あっかんべ。
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