いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

今日僕はクルマを買って、叔父になった。

2012-03-11 23:59:00 | 超・いぶたろう日記
僕にとっての今日は、表題の通りだ。

日本中が追悼と祈りに包まれた3月11日。
あちこちでこの日をどう迎えるべきなのか、議論もあったろう。

故郷や大事な人を失った被災者の方が、
この日を特別な思いで迎えることについて、
僕なんかに何も言うことは出来ない。
けれど、まるで関係のない人が、偏った倫理観や変な義務感に駆られて、
今日一日を追悼と謹慎に塗りつぶそうとするのには違和感を禁じ得ない。

だって、今日は「2012年の」3月11日だ。
「2011年の」3月11日は二度と来ない。
日付は同じでも、あまり多くの意味を求め過ぎるのはちょっとどうかなと思う。

「あの日を忘れないために…」って、誰が忘れるというのだろう。
ツイッターやフェイスブックじゃないと黙祷できない人って何だろう。
なら、そういう人々を口汚く罵ればエライのか。

哀悼の気持ちをどう表現するのか、それは個人の自由。
表に出すことを義務づけられるものではないし、
出し方を非難されるようなものでもない。
今日は今日として日常を送るというだけの人々を
無闇に「不謹慎」という枠組みに押し込めるのは間違っている。

僕は今日、楽しみにしていた納車があって、ドライブを楽しんだ。
どこにでもある、だけど幸せな一日だ。
そして夕方、僕の妹に赤ちゃんが生まれた。
僕が叔父になった日としても、忘れられない。

そう、2万近いかけがえのない命が失われたあの日から366日が経過した今日、
僕ら家族親族にとってかけがえのない命がひとつ生まれた。
ただ、それだけの事実。
この与えられた幸せを感謝することに何の後ろめたさを覚える必要があろうか。
それとも、やはり「哀悼の意を表したい」という枕詞を並べなければ、
今日という日に個人の歓びを語ることは許されないのか?

震災に、津波に、原発に、東電に、政府に、被災者に、
思うところがないわけがない。
だけどそれは2012年3月11日の2時46分に
黙祷していなければならないという「かたち」や、
今日あった嬉しいこと、楽しいことを封印してしまうことと、
必ずしも結びつく訳じゃない。

何が言いたいのかな。
形ばかりこだわって、見失ってるものって小さくないんじゃないか。
そういうことかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

…そうか、こういうことだ。
「どうしてみんな一緒じゃなきゃいけないのか?」
「なぜ思うこと、感じること、行動が同じでなければいけないのか?」
こういうものへの本能的な嫌悪感、だ。きっと。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うぇるかむ

2012-03-11 21:49:28 | 超・いぶたろう日記
待つこと2週間、ついに来ました。
レガシィ・アウトバックです。
いやー、首を長くしすぎて結び目出来かねないほどだった。
納車の連絡が来て、翌日朝一番にお願いして、
そしたら担当者のOさんが自宅まで迎えに来てくれた。
お店まで向かって、ピカピカに磨き上げられた愛車にご対面。

うーむ………………眩しい^^

もう、たまりませんね。
自分で選び、自分の金で買った最初のクルマだしね。
何と言ってもこの色!
深みのある赤、大好きな色なんですよ。
この色しか考えられなかった。
自分のフェイバリットカラーだと思っていたら、
こないだ弟に指摘されて気づいたんだけど、
これ、幼少期に乗ってた父母の車の色なんだよね。
ホンダのシビック、アコード、最後はジャガー。
みんなこの色だった。
知らず知らずのうちに自分のルーツになっていたのか。
うーむ、感慨深い。

色々説明を受け、いよいよカギを受け取り、乗車。
あー包み込まれる…^^
キーレスエントリー、プッシュスタートって最初は慣れないけれど、
使っているウチにやみつきになりますね。
こんなに便利なもんだと思わなかった。
キーを持ってノブに手をかけるだけで鍵が開くし、
降りるときもノブのボタンをちょいと押すだけ。
クルマの中にキーを置き忘れてたら鍵はかからないし、
かつて閉じ込み王だった僕にとってこれは大変ありがたい機能だわ。

パーキングブレーキも電動。
ベルトしてアクセルを踏むと自動で解除。
するすると滑り出すように走り出します。
2.5Lって余裕あるね~。
しばらくレンタカーで1.3L~1.5Lクラスしか乗ってなかったし。
しかもエコ・スポーツ・スポーツ#と3段階あって、
それぞれに味のある運転が楽しめる。
10方向に調整可能な電動シート、左右独立のエアコン、
最高の音質を提供してくれるマッキントッシュ・オーディオ、
もう何から何まで至れり尽くせりですよ。

そして何と言っても、アイサイト。
これは便利。とにかく便利。
速度を指定してクルーズモードにすると、その速度をキープしてくれるだけでなく、
前のクルマを感知して、車間を一定に追従走行してくれるのだ。
前の車が停まると、コチラも自動できちんと停まるし、
前のクルマが踏み込めば、ちゃんとコチラもついていく。
高速道路や渋滞時には大変重宝する。
僕の場合運転してると足首から疲れてくるからね。
こんなにラクだと思わなかった。
あんまり頼ると、これ以外の車に乗れなくなりそうだ…^^

どこへ行こうか考えて、とりあえず出来たばかりの東京ゲートブリッジへ。
真新しい舗装の道路が気持ちいい。
とにかくこのクルマ、走る、曲がる、停まるがいちいち心地良い。
低重心の水平対向ボクサーエンジン+AWD(四駆)のゆとり。
もうとにかく運転してるだけで楽しいのね。
どっかのアホ医者みたいにかっ飛ばす気にもならない。
優雅に楽しむクルマだね。

あー、最高のクルマを買ってしまった^^


そんで気がついたら羽田空港へ来てしまいました。
飛行機乗りてー。


何も考えず停めたところは自分の血液型と誕生日でした^^
何か最近こういうの、来るなあ~。


空港って来るだけで楽しいよね。
江戸の街並みをイメージしたショップ街でした。

空港内をぶらぶらしていたら、不意に電話が鳴り、出てみると母。
何と、僕の妹の赤ちゃんが生まれたという。
びっくり。予定日よりも10日も早い。
これで僕の妹は母親になり、僕の母は祖母になり、僕は伯父となってしまった。
たしかに一世代進んだ感じがする。
妹やそのダンナである義弟には大変な時間だったろうが、
なんだかとてもあっけない気もしてしまう。
かつて僕らは最年少でみんなにお世話になってきた。
それが今や、お世話をする側になろうとしている。
年齢を考えれば当たり前のことだが、なんとも不思議なことだ。

続いて妹に電話してみる。
産後1時間ほどだというのに、彼女は電話に出た。
イイ時代だ^^
お産だから大変には違いないが、比較的負担の大きいものではなかったという。
男の自分には想像を絶するものだ。
もう赤ん坊を生んだというだけで尊敬してしまう。
電話の向こうの妹は元気そうでよかった。
そしてもっと元気な泣き声が聞こえてきた。
僕の甥っ子だ。
会うのも楽しみだ。

親父にも電話した。
さすがの親父も嬉しそうだ。
声が弾んでいる。
何よりも自由な親父は、先日僕よりも若い4人目の嫁をもらい、
(彼女もまた祖母ということになるのだろうか)
そしてなぜか大相撲を見に来ていた(笑)。

3/11が誕生日になったことについて、僕と親父の見解は同じだった。
すなわち。
日本中があたかも原爆の日のように追悼ムード一色に染まる中にあって、
個人的なお祝い事は自粛を強要されそうな空気すら漂う。
日本ではこの「空気」を「読めない」人間だと判断されようものなら、
もうヒステリーとしか言いようがないほど集団で叩きに来る。
戦時中に反戦を唱えたものが非国民扱いされたのと、原理的には同じだ。
でも、それがいつであろうと、生まれてくるものはあるのだ。
震災のさなかだって生まれてきた命はあったはずだ。
これを祝わずに、何が復興だ。

とまあ。僕なんかいかにも言いそうでしょ?
こういうところが自然と一致するのは嬉しいね。

どこで誰が眉をひそめようと
(いや、そういうリアクションするヤツに限って被災者でもなんでもないはずだ)、
それはそれ、これはこれだ。
僕は大声で言うぞ。

「誕生、おめでとう!!」

奇しくも、僕の愛車のデビューと同じ日なんてなあ。
仲良くやれそうだな。よろしくな。

おう、そうだ、何でも親父によればな、
横綱白鵬とも誕生日同じらしいぞ(笑)。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3月11日が来た

2012-03-11 00:25:25 | 超・いぶたろう日記
3月11日。
被災者自身がそっとこの日を偲ぶのは当然のこと。
直接関わりがなくとも、この日に思いを馳せ、犠牲者を悼むのも自然なこと。

しかし僕はどうしても、
マスコミやにわかイベント屋がここぞとばかりに騒ぐのは違和感がある。
「絆」という言葉の濫用も、いかにも鼻白む。
「感動」美談をこれでもかと引きずり出してくる浅はかさも、堪らない。
なんかもう、やりたくてしょうがない感じだ。
哀悼の日は、君たちのイベントの日じゃない。

1年前、壊された町に呆然としていた僕らに、
マスコミは空騒ぎをくり返すばかりで、何らの有用な情報ももたらしてくれなかった。
空前の大災害に、世紀の映像に、毎日はしゃいでいるようにしか見えなかった。
幸いにも命を落とす人がいなかった浦安ですら、小さくない怒りを覚えたのだから、
東北の被災地の人々の心情を察するに余りある。

誠実な思いがあるかどうかを問いたいだけで、
震災に関わるイベントをすべて否定しているわけじゃない。
イベントが小さな力を結集させて、大きな動きにつながることも多いだろう。
でも、何かをやろうと思う人は、
少なくとも周囲にそういう目で見ている人がいるだろうことを、
強く強く意識して当たるべきだ。

あんまり1周年、1周年とくり返されると、
まさか祝ってるのか?と皮肉の一つも言ってやりたくなる。
今年は閏年だから、366日なんですけど、という屁理屈も添えて。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする