いぶろぐ

3割打者の凡打率は7割。そんなブログ。

ケツの穴が小さい

2009-02-13 00:27:36 | 新・いぶたろう日記
…とは、「度量の小さい」人のことをいう言葉だが、
はてさて何故こんな表現に行き着いたのだろう?と思う。

調べてみる。

何にでも納得のいく説明というのがあるもんで、
なんでも「出すものが小さい」から「ケチ」という、
洒落から来た言葉だという。

なるほど。

まあでも、コトはお金に限った話じゃないだろうね。
態度だったり、愚痴だったり、
口や顔や行動から漏れ出るすべてについて言えることでしょう。

特に、自分の不遇を訴える、
他人の落ち度をあげつらう、
こういう場面では問われるでしょうね。
人間の器ってやつが、さ。

人生で一番難しいのは、人を許すことだ、という。
他人をこき下ろすのは簡単なことだ。
厳しいようでいて実は自分に甘かったりもする。
いや、ちゃんと自分にも厳しいぞという人からして、
そんな反論が口をつく時点で器がしれるというものである。
「自分の理想を他人に押しつけている」点では大差ないんである。

他人の立場に立って、その視点に立って、
思いやれる人というのが人格者というもんだろう。
僕にはなかなかたどり着きそうもない境地だが。
それにしたって、
人のわずかな手落ちや失礼を見逃さず、
しかも必要以上に態度を硬化させる人というのは、
疲れないのかね、と思う。
それ以上に、友達いるのかね、と思う。
寂しい人なんだろうな、と思う。

あのね、
別に特定の誰かをこき下ろしたいのではなくてね。
「他山の石」にしようと思うんだ。

自他共にさ、
自分の不遇を訴えたり、周囲の自分への評価を憤ったり、
文句言ってる内はマダマダだな、とつくづく思う。
誰も自分の思い通りに、自分に都合のいいように、
お膳立てなどしてはくれないものだ。
それが当たり前なのだ。
だからといってグチグチ言ってるようじゃ小物だよね。
変えなきゃ。周囲を巻き込んで、行動を起こさなきゃ。
言葉だけじゃないよね。
磨くべきは己の人格だよ。
「鈍感な他人」じゃない。
見てる人は見てる。
評価されるべき人は必ず評価される。
それを信じて懸命にやるからこそ、人はついてくる。

僕は世の中甘くもないけど、
そう厳しいもんでもないと思っている。
そう思わせてくれるのが、友達だったりする。
僕には最高の友達が数え切れないほどいる。
そのことの幸せを思うと、
もっと彼らに応えるために、
僕自身も彼らの「最高の友達」たるべし、と思える。

そういう発想、できないかな。

学校でも職場でも家族でも友人でも恋愛でも、
みんなそういうことだと思うのだが。
他人に求めてばかりで、自分は与えているだろうか?
そういう視点を欠かしてはならないと思う。

まあ、言行一致できれば僕もオトナの仲間入りなワケだが。

すんません、まだまだ未熟なもんで・・・(笑)
Comment (1)
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