かの狂気の天才、アドルフ・ヒトラーは、
獄中で自らの生い立ちと価値観とをふんだんに盛り込んだ書物を著した。
夫婦一組に対し一冊の購入が義務付けられ、
またゲシュタポの追及を逃れ、ナチスへの忠誠の証とするためにも広く買われ、
ドイツ国内で1000万部を売ったという、
ナチスのバイブルとも言うべき『我が闘争』である。
誤解しないでね。
僕はもちろん、ナチスの信奉者ではない。
ナチスの旗は思想を全く抜きにして、
アート的な感性のみで正直に言えば、
美しいデザインだなとは思うけども。
彼らのやったことは正当化のしようもないし、
いまさら僕が断罪するようなことでもないが、
まあ、普通に考えて、ひどい。
ユダヤ人に対する偏見ももちろん無いし、
そもそも人種差別という感覚が僕の中に皆無だ。
別に偽善を気取ろうというのでもなく、
純粋に、例えば性別や家柄や出身地や血液型や、
そういう個人の能力や努力とまったく関連性のないものを根拠に、
人を判断することに対しての嫌悪感があるのだ。
自分の無知蒙昧をさらけ出すようなものだ。
ヒトラーが権力を瞬く間に掌握した、
そのお手並みは本当に凄いなと思う。
理想も、目的も、手段も、結果も、
結局は間違っていたかも知れないけども、
一国の権力をあんな風に独占的に手に入れて、自在に操るなんて、
並の才能や運では為しえないことだ。
で、そんな彼が書いた本の内容はと言えば、
これが難解の一言。
ようわからん。ちょっと見ただけでその先は読む気もしない。
全部読んだヤツはおそらく購入者の1%にも満たないだろう。
売れた割に人目に触れたページ数の少なさで言えば、
タウンページにも劣るかも知れない。
しかも晩年のヒトラーは、
「あの本は古い!オレも若いうちに色々決めつけちゃってたなー」
なーんて、のたまってたという。
さすが、ミスター臨機応変、気分で物言う男、アドルフ。
じゃあ、才能とカリスマ性については彼に比較するべくもないが、
気分でものを言うことにかけては引けをとらないと自負するこの私が、
本を書くとしたら。
そのタイトルはこれで決まりだろう。
『我が迂闊』。
思えば、僕の人生は迂闊の連続だ。
【迂闊】うっかりしていて心が行き届かないこと。
なんとまあ完膚無きまでに明白に言い表した説明であることだろうか。
僕は理屈っぽい。
価値の有無や優先順位、現実性や実用性に一切関係なく、
無闇にあれこれとものを考えるクセがある。
それが人には緻密な頭脳派とウマイ具合にカンチガイされることがあり、
時にそれを悪用し、時にそれに便乗し、時にそのせいでやたらとガッカリされたりもした。
僕に関する誤解の最たるものが、
「オセロ、将棋、麻雀などが強いのでは」
「パズル、ルービックキューブなどが得意なのでは」
などというものだ。
正直に言っておく。
弱い。
笑っちゃうほどに弱い。
何故か。
迂闊だからだ。
一応あれこれ考える、
だけどいっぱい思いつきすぎて、
整理がつかないうちに面倒になってきて、
えい、これでいーや!で進めてしまう。
で、
「・・・あ!しまった!」
でやられる。
このパターンだ。
だから最近では、まず、やらない。
勝ってもあんまり嬉しくないのに、負けると異様に悔しい、
そして僕はほぼ負けるからだ。
まあ、そもそも大してアタマがよいわけでもなく、
あくまで頭脳派のフリがウマイというだけなので、
付けて加えて迂闊と言うことになると、
これはもうみんなにもっと愛されても良いんじゃないかとすら思えるが、
残念ながら実生活に於いては敵が多い。
これまた、僕の迂闊によるものだろう。
特に僕の舌(及び筆)と来たら、致命的なまでに迂闊だ。
ルール無用の口げんかをやらしたら、まず負けることはないだろうが、
そこはそれ、オトナの社会というヤツは、
負けそうになると色んなモンを持ち出してくるので、
そうそう純粋な口げんかなんて出来ない。
僕はその辺子供じみていて、ついつい言い過ぎてしまうのだが、
最近はちびっとオトナにもなれたのか、
ぜんっっっっぜん悪いと思って無くても平気で謝るフリが出来るようになった。
しかも迫真の演技でだ。
これはサルが携帯で駅すぱあとを使い、
新宿から千葉県内の自宅までの最短ルートを導き出すくらい、
画期的な進歩だと言えよう。
もうすでにこの文脈が迂闊だ(笑)。
とかく僕はひとつ手に付けるとひとつを忘れる。
西向きゃ尾ぐらいは東にも向けるが、北と南を忘れる。
やらなきゃいけないことでも、重要度に関わらず平気で忘れる。
今日も勤怠表の提出を忘れた。
週頭から他の職員に口を酸っぱくして呼びかけてたくせに、
まったくもって重症だ。
終電に急ぎ、カギをかけるのを忘れる。
電車内では本に夢中で、傘を忘れる。
帰りに買い物によると、買ったモノをどう使うかでアタマがいっぱい、
釣り銭を忘れる。
コンビニでカップ麺にお湯を入れながら、
真剣に1分30秒(固めが良いのだ)をカウントし、
財布を忘れて盗られたこともある。
携帯を忘れるのなんてしょっちゅうだ。
ゴミ捨ても忘れる。
クリーニングも忘れる。
みーんな玄関に忘れていく。
飲みかけのお茶も忘れる。
打ちかけのメールも忘れる。
そのくせつまんない話はいつまでも覚えている。
・・・病気かな、俺。
いや、究極的に前向きなのだろう、そうだろう、ぜったいそうだ、そうにちがいない。
この解釈もまた病的に前向きだ(笑)。
そして恥をさらすようだが、覚悟の上で言うが、
僕の管轄する教室は、
なんと1ヶ月ちょっとの間に2度も泥棒に入られた。
もう僕の迂闊無くしてあり得ない状況だ。
ここまで来るとさすがにへこむ。
いや、カギはかけてたよ?
破られちゃったんだもん。正面から。
じゃあしょうがな・・・と口にしないまでも思っちゃう辺りが不敵に迂闊。
まあ、教室にそんな大金があるわけもなく、
せいぜいがテキストくらいだから被害金額は軽微だったのだが。
せっかく入っても勉強道具くらいしかないぞ。
しかし事務所を一通り荒らされたので、精神的なダメージは深い。
あたかも陵辱されたような屈辱感がある。
で、ここは迂闊な対応というわけにもいかず。
思いっきり防犯体制を整えてやった。
防犯カメラ2台、防犯ブザー3台。
まあ、教室予算的にはこんなもんが常識的なラインかと。
本当は落とし床とか全面トリモチ壁とか高圧電流線とか作りたいんだけど。
子供がかかってもいけないし。
でもねー。
みんなあんまり経験無いと思うけど、
泥棒って、入る時は実にあっけなく入るよ。
僕もこれまで一度も経験無くて、
まさか自分の周りでこんなことが起ころうとは想像もしてなかったし。
しかもプロに本気で狙われたらもう何をしてもムダだってさ。
だからウチのも気休めかも知れないんだけどね、
無いよりはずっとマシ。
みんなにも「明日、泥棒が来るかも」ていうくらいのテンションで、
防犯に取り組まれることをオススメします。
以上、迂闊なわたくしからの真摯なメッセージでした。
あ、そうそう、もうひと迂闊。
こないだ、アップルのワイヤレスキーボード買ったのね。
ネットで。よく見もしないで。1万円で。
・・・・テンキーついてないんでやんの・・・。
不便。
まことに不便。
無念。
獄中で自らの生い立ちと価値観とをふんだんに盛り込んだ書物を著した。
夫婦一組に対し一冊の購入が義務付けられ、
またゲシュタポの追及を逃れ、ナチスへの忠誠の証とするためにも広く買われ、
ドイツ国内で1000万部を売ったという、
ナチスのバイブルとも言うべき『我が闘争』である。
誤解しないでね。
僕はもちろん、ナチスの信奉者ではない。
ナチスの旗は思想を全く抜きにして、
アート的な感性のみで正直に言えば、
美しいデザインだなとは思うけども。
彼らのやったことは正当化のしようもないし、
いまさら僕が断罪するようなことでもないが、
まあ、普通に考えて、ひどい。
ユダヤ人に対する偏見ももちろん無いし、
そもそも人種差別という感覚が僕の中に皆無だ。
別に偽善を気取ろうというのでもなく、
純粋に、例えば性別や家柄や出身地や血液型や、
そういう個人の能力や努力とまったく関連性のないものを根拠に、
人を判断することに対しての嫌悪感があるのだ。
自分の無知蒙昧をさらけ出すようなものだ。
ヒトラーが権力を瞬く間に掌握した、
そのお手並みは本当に凄いなと思う。
理想も、目的も、手段も、結果も、
結局は間違っていたかも知れないけども、
一国の権力をあんな風に独占的に手に入れて、自在に操るなんて、
並の才能や運では為しえないことだ。
で、そんな彼が書いた本の内容はと言えば、
これが難解の一言。
ようわからん。ちょっと見ただけでその先は読む気もしない。
全部読んだヤツはおそらく購入者の1%にも満たないだろう。
売れた割に人目に触れたページ数の少なさで言えば、
タウンページにも劣るかも知れない。
しかも晩年のヒトラーは、
「あの本は古い!オレも若いうちに色々決めつけちゃってたなー」
なーんて、のたまってたという。
さすが、ミスター臨機応変、気分で物言う男、アドルフ。
じゃあ、才能とカリスマ性については彼に比較するべくもないが、
気分でものを言うことにかけては引けをとらないと自負するこの私が、
本を書くとしたら。
そのタイトルはこれで決まりだろう。
『我が迂闊』。
思えば、僕の人生は迂闊の連続だ。
【迂闊】うっかりしていて心が行き届かないこと。
なんとまあ完膚無きまでに明白に言い表した説明であることだろうか。
僕は理屈っぽい。
価値の有無や優先順位、現実性や実用性に一切関係なく、
無闇にあれこれとものを考えるクセがある。
それが人には緻密な頭脳派とウマイ具合にカンチガイされることがあり、
時にそれを悪用し、時にそれに便乗し、時にそのせいでやたらとガッカリされたりもした。
僕に関する誤解の最たるものが、
「オセロ、将棋、麻雀などが強いのでは」
「パズル、ルービックキューブなどが得意なのでは」
などというものだ。
正直に言っておく。
弱い。
笑っちゃうほどに弱い。
何故か。
迂闊だからだ。
一応あれこれ考える、
だけどいっぱい思いつきすぎて、
整理がつかないうちに面倒になってきて、
えい、これでいーや!で進めてしまう。
で、
「・・・あ!しまった!」
でやられる。
このパターンだ。
だから最近では、まず、やらない。
勝ってもあんまり嬉しくないのに、負けると異様に悔しい、
そして僕はほぼ負けるからだ。
まあ、そもそも大してアタマがよいわけでもなく、
あくまで頭脳派のフリがウマイというだけなので、
付けて加えて迂闊と言うことになると、
これはもうみんなにもっと愛されても良いんじゃないかとすら思えるが、
残念ながら実生活に於いては敵が多い。
これまた、僕の迂闊によるものだろう。
特に僕の舌(及び筆)と来たら、致命的なまでに迂闊だ。
ルール無用の口げんかをやらしたら、まず負けることはないだろうが、
そこはそれ、オトナの社会というヤツは、
負けそうになると色んなモンを持ち出してくるので、
そうそう純粋な口げんかなんて出来ない。
僕はその辺子供じみていて、ついつい言い過ぎてしまうのだが、
最近はちびっとオトナにもなれたのか、
ぜんっっっっぜん悪いと思って無くても平気で謝るフリが出来るようになった。
しかも迫真の演技でだ。
これはサルが携帯で駅すぱあとを使い、
新宿から千葉県内の自宅までの最短ルートを導き出すくらい、
画期的な進歩だと言えよう。
もうすでにこの文脈が迂闊だ(笑)。
とかく僕はひとつ手に付けるとひとつを忘れる。
西向きゃ尾ぐらいは東にも向けるが、北と南を忘れる。
やらなきゃいけないことでも、重要度に関わらず平気で忘れる。
今日も勤怠表の提出を忘れた。
週頭から他の職員に口を酸っぱくして呼びかけてたくせに、
まったくもって重症だ。
終電に急ぎ、カギをかけるのを忘れる。
電車内では本に夢中で、傘を忘れる。
帰りに買い物によると、買ったモノをどう使うかでアタマがいっぱい、
釣り銭を忘れる。
コンビニでカップ麺にお湯を入れながら、
真剣に1分30秒(固めが良いのだ)をカウントし、
財布を忘れて盗られたこともある。
携帯を忘れるのなんてしょっちゅうだ。
ゴミ捨ても忘れる。
クリーニングも忘れる。
みーんな玄関に忘れていく。
飲みかけのお茶も忘れる。
打ちかけのメールも忘れる。
そのくせつまんない話はいつまでも覚えている。
・・・病気かな、俺。
いや、究極的に前向きなのだろう、そうだろう、ぜったいそうだ、そうにちがいない。
この解釈もまた病的に前向きだ(笑)。
そして恥をさらすようだが、覚悟の上で言うが、
僕の管轄する教室は、
なんと1ヶ月ちょっとの間に2度も泥棒に入られた。
もう僕の迂闊無くしてあり得ない状況だ。
ここまで来るとさすがにへこむ。
いや、カギはかけてたよ?
破られちゃったんだもん。正面から。
じゃあしょうがな・・・と口にしないまでも思っちゃう辺りが不敵に迂闊。
まあ、教室にそんな大金があるわけもなく、
せいぜいがテキストくらいだから被害金額は軽微だったのだが。
せっかく入っても勉強道具くらいしかないぞ。
しかし事務所を一通り荒らされたので、精神的なダメージは深い。
あたかも陵辱されたような屈辱感がある。
で、ここは迂闊な対応というわけにもいかず。
思いっきり防犯体制を整えてやった。
防犯カメラ2台、防犯ブザー3台。
まあ、教室予算的にはこんなもんが常識的なラインかと。
本当は落とし床とか全面トリモチ壁とか高圧電流線とか作りたいんだけど。
子供がかかってもいけないし。
でもねー。
みんなあんまり経験無いと思うけど、
泥棒って、入る時は実にあっけなく入るよ。
僕もこれまで一度も経験無くて、
まさか自分の周りでこんなことが起ころうとは想像もしてなかったし。
しかもプロに本気で狙われたらもう何をしてもムダだってさ。
だからウチのも気休めかも知れないんだけどね、
無いよりはずっとマシ。
みんなにも「明日、泥棒が来るかも」ていうくらいのテンションで、
防犯に取り組まれることをオススメします。
以上、迂闊なわたくしからの真摯なメッセージでした。
あ、そうそう、もうひと迂闊。
こないだ、アップルのワイヤレスキーボード買ったのね。
ネットで。よく見もしないで。1万円で。
・・・・テンキーついてないんでやんの・・・。
不便。
まことに不便。
無念。