今日は地域の獣医師会の講習会。
講義だけではなく、実習をやりたかった。
話だけ聴いても、ふ~んで終わってしまうことが多い。
実際に自分でやってみてはじめて、できるかな、やってみよう、と思える。
話を聴いても、へ~と思うだけ。実際に目で見て、お~そうか、と思える。
-
プロポフォールの全身麻酔は、静脈麻酔を一変させた。
しかし、それを目の当たりにしている獣医師は少ない。
まして自分でやってみようとする獣医師はごくごく少ない。
で、デモンストレーションでプロポフォール麻酔の覚醒の良さを見てもらいたかったのだが、
それは諸事情で実現しなかった。
-
局所麻酔の実習はそれなりに体験していただけたのではないかと思う。
人数は実習が成立する限界だった。
これ以上多いと部屋に入れないし、見て触ってやってみて、という実習の利点がなくなる。
それにしても若い獣医さんが増えた。女性獣医師も増えた。
お互い馬の診療のプロフェッショナルとして高いレベルでやりとりできるようになるか・・・・
これからの課題だと思っている。
/////////////
頼まれる診療、できる診療をこなすことだけしていると、進歩はないのです。
今たべられるものをもらうことだけしていて、進歩しない、こいつのように、です。
プロポフォールも適時使えるように、お勉強、実習の機会が今後あったらいいですね。自主練はできないでしょ?
オラ君の進歩はどこに向かえばいいのでしょ?狩れるわんこ?蓄えられるわんこ?牧畜や農業ができるわんこ?今のままがいいだろねー。
子犬には知識欲?があって勤勉、と思うことがあるけど、仔馬もそうかも。
ところでこのような講習会は事前に告知等しておりますのでしょうか。
大変、興味深い講習会です。
ぜひ、将来の馬医学の発展につながる方をお祈り申し上げます。
かつては全身麻酔が必要だった外科処置も立位でできるようになっていて、それは局所麻酔の成果でもあります。
往診先での全身静脈麻酔は、安楽殺だけに使っている馬獣医師も多いです。その機会にプロポフォールも使った倒馬を経験してみると良いかと考えます。
相棒は相変わらずなのですが、放すとどこへ行ってしまうかわからないというのは若いときほどなくなりました。”向上心”を失くしたのでしょう;笑 そのあたりに食べられるものは落ちてない、と知ったのです。獣医さんの年齢と意欲もそういった面があるかもしれません。
ここに来られた経験者はぜひここに研修に来た若い方にも診療させろと、そうすると流れができますよ。
頼むのは結局飼養者で、頼まれるかどうかは個々の資質で判断されるでしょうけれども。
プロポフォールの切れ味は馬でもそんなに違うんですね。
やはり呼吸抑制を含めた事故率ですとか、そういう実数や経験値がもう少し地につかないと二の足を踏むでしょうし、飼養者に説明できない部分があると思います。
覚醒だけ考えるなら色々方法もないわけではないでしょうけれども、書いてしまうと実験してしまう方面が出てくるので書かない方が良いでしょう。
結局飼養者の負担になります。
場末というのは恐ろしいものでしてね、頼まれない人間は頼まれないようにするのが仕事なんですよ。
システムの中には飼養者が困窮しようが知ったこっちゃない、という獣医師はいるんですよ。
そいういう所は良心的な飼養者がみんな逃げて、言っていることの理解出来ない飼養者を相手にクレーマーを仕立てることを仕事にしています。
返す刀で頼みたくないから頼まないのに、無理やり介入するために勉強するシステム人間もいます。
これも結局飼養者を困らせることになります。
塩背負って転けるロバはワタ背負っても転けるのを知っているから積まないのに、ワタだけひたすら背負って仕事していることにしたい訳ですよ。
組織や制度で獣医師を供給するなら、この辺はよく吟味した方が良いです。
食いたいものだけ食いたいように食ってたら猛烈なデブになるのが犬ですよ。
食わんでもいいものまで食うようなひもじい思いさせてたらやさぐれているでしょうからちょうどいい所だと思います笑
新しい技術の普及はそう簡単なことではありません。簡単なことはすでに普及していますから。
江戸の医者が何か有効なことができていたのか我々に想像できないように、100年後の馬獣医師には考えも付かないことを私たちがしていないか考えてもらいたいです。
基本的な神経ブロックは、欧米獣医学教育ではDay One Skills(卒業生が就労第一日にできるべきこと)のひとつなのです。
自分はできるのか、できないならどうやってできるようになるか、あるいは自分は前時代の者としても、後輩がどうやればできるようになるか考える、ということです。
できない、できるようにならない、できるようになろうとしない言い訳を考える者が多いのは知っています;笑
何もなかった時代の事を再現するのはカルトかもしれませんが、大動物は未だにそこで試される部分があります苦笑
簡単な事は潜在的なリスクや再現性を打っちゃってすぐ普及しますよね。
そういうテクニックは100年待たずとも数多の犠牲者を生じながら間も無くタブーになるでしょう。
積み上げで論文書いて専門学士で卒業できていた時代の大学では、それ以外の事について出来るようにならないのが徹底していましたよね。
内科は鎮静すらかけず、そこから先は全部外科がやっていました。
馬なんか診ないし、個体診療なんて肉体労働でしょうとn=5で確保される危険率だけを根拠にデータを集めてましたら何も考えなくて良かった笑
全ての学生がそのためだけにややもすると命を簒奪する動物実験するなんてどんなもんだと個人的には考えていたのですけれども。
これはもはやふた昔前の概念で平均値などというのはどうやっても動かなくなり、それでも損失が減らない事を説明できない獣医師がカルチャーショックを受けたそぶりでn<5の個体診療に没入していくわけです。
コアカリキュラムをこなすだけで手一杯で研究室制度なんか要らないんじゃないかというところで育った学生が、それ以前の獣医師をどう見るかが楽しみですね。
論文書かなくてもツールが簡単になっているので統計学的な根拠から物を見る視点は大事にしてほしいものです。
hig先生の時代の統計は本当に大変だったと思いますよ。
専門家が好き勝手に出した訳本は用語すら統一されておらず、何が重要かも著者の都合で、洋本10冊は買える統計ソフトですら今の処理環境には足元にも及ばなかったはずです。
研究と臨床と、学部学生にとってどちらが重要か考えながら教育内容を考える必要があります。日本の獣医科大学は、もっと臨床にも力を入れる必要があるでしょう。基礎講座の先生たちもそういう教育を受けてきた、と成って初めて欧米なみになれるのかもしれません。